はっと、シオンは自分の体勢に気づいた。
先ほど志貴を閉め落としてしまってから思考が氾濫していたため気づかなかったが、現在、シオンは志貴に対してマウントポジションを取っていた。
七夜の生き残りにして、二十七祖のうち十、十三、番外の者も消した殺人貴の志貴を、である。
失神している志貴に対し、シオンは抱きついていた。
それはもう、がっしりと。
眼前三十センチ。
気絶しているとは言え互いの息が掛かる位置である。
そんな状況の中、シオンはひたすら顔を赤くしていた。






思えば、ずっとこんな時間が欲しいと願っていた。






錬金術師という特殊な位置づけのため、シオンに対する風当たりは強い。
しかし、それでも心が休まる場所があった。
殆ど人とのかかわりを持たなかったシオンだったが、三咲町に来て、それは変貌を遂げる。
協力を申し出て、最初は一蹴されたものの、後の説得によって協力を得た真祖。
捕縛目的で戦闘を嗾けられ、辛くも退けることの出来た神罰の地上代行者。
疎通より、親しみを覚えて語り合った遠野の現当主。

そして、暖かい笑みをくれた、優しい殺人貴。

彼とは、言わば初めての友人とも言える関係。
密かに思慕を寄せる関係。
横恋慕とレッテルを貼るのが相応しい関係。
だが、そんな関係でも、有意義で楽しい時間だった。
不謹慎かもしれないが。
あるいは、初めての恋心。

その想い人が、目の前にいる。











【シオンの苦難】

第五話「そのとき、本当は」












夜風に舐られて寒気を増したアスファルトの感触が、今頃になって思い出される。
それと、伝わってくる鼓動が二つ。
一つは志貴の物、もう一つはシオンの物。
ゆっくりとした、音の主と同じくマイペースな心拍とはちがい、 シオンの音ははちきれんばかりに駆け足だった。
以前なら此処で吸血衝動に襲われていただろう。
しかし、現在は抑制が聞いている。
アルクェイド・ブリュンスタッドがその力の大半を吸血衝動の抑止に回している様に、
吸血衝動は恐ろしいほどに、強かった。
欲望と言う甘美な響き、それとは逆の背徳感。
それに抗えるのも、タタリが消滅したから。
それでも、シオンは吸血鬼としては及第点以下である。
血を吸う吸わない以前に、鉄壁の自尊心と理性を全て使い、衝動の抑制のために力を注いでいるのだ。
逆に、それは苦痛でもある。
人間の三大欲求のように、耐え忍ぶことは身体に変調を来すのだから。

こんな時に限って、彼女はIFを想定したくなる。

もし、家柄など関係なく、シオンがシオンとして志貴に出会っていたら。
きっと惚れていたに違いないと、シオンは心の中で自嘲する。
IFでものごとをかんがえても、取らぬ狸の皮算用と同じ。
だが、考えられずにはいられない。
普通の人間同士で、手を繋いで町を歩き、他愛のない会話をし、 同じ学校に通うのだとしたら試験の結果を聞いたり、
帰り道で道草ついでに校則違反の買い食いをしてみたり。
はたまた、告白をしたり、それから情事に及んだり。

もしも、と着けられることが多すぎて、シオンは自分がいやになる。
そうなると言うことは、自分に自信がない証拠。
自然と頬が緩み始めていたシオンは、苦笑して頬を胸板に摺り寄せた。

敵は多いのだ。
アルクェイドだけではない。
ならば、誰も見ていないこの場で甘えてもいいではないかと、シオンは思う。

シオンは思い切って体を浮かし、志貴の上に覆いかぶさるようにして、 志貴の顔の直上に己の顔を持っていった。
垂れてきた紫色の髪をすくい、耳にかける。

思えば体や化粧や衣服にも大分気を使ったものだ。
それでも、目の前にいる男は気づかないだろう。
夏に荒れ放題だった肌は少しずつ潤いを持ち、頭髪も指がすきとおるほどとかしているということも。
スカートから覗く下着にかざりっけがついたことなども。
ズェピアに対して、吸血鬼にさせられたことと、一族に泥を塗ったということは憎い。
半分、出会いを生んでくれたことに対しては不本意ながら感謝している。
それも皮肉ではあるが。

鼻先が触れ合う。
妙なくすぐったさを覚えると共に、志貴の呼吸を白い素肌に感じる。
弱弱しく、何時か消えてしまわないか、それも解らない吐息。
それらを見て、シオンはもどかしそうに顔を顰めた後、呆れた顔で嘆息した。

「いつかは…実体験してみたいものですね。ベーゼと言う物を。」

それから、シオンは志貴の額へ跡を残さぬように口付けをした。










遠野邸の正面門。
そこにはメイド服を纏った少女が立っていた。
その顔は、あるものが見れば不機嫌そうだと言い、 またあるものが見れば情緒豊かになったと嬉しそうに呟くだろう。

すっかり日が落ちてしまったが、冬なので時刻も早い。
人を待たせることが得意な彼女の主人は、今頃いったいどこで何をしているのだろうか。
去年今年の夏はいろいろと騒がしかったために、メイドである彼女、翡翠も困り顔をすることが多かった。
最も、それは主人たる志貴についてなのだから、相当の気苦労であろう。
夜に屋敷を抜け出ていたり、血だらけで帰ってきたり、見知らぬ美しい女性を連れてきたり、剣呑な騒ぎを起こしたり。
確かに苦労は耐えないが、それでも今にして思えば懐かしい出来事である。
…現在も屋敷の中でアルクェイドとシエルが暴れることを除けば。

「遅いですね、志貴様。」

屋敷を出たのが夕暮前の五時。
となれば大分時間が過ぎていることだろう。
しかし、屋敷内の雑務は概ね完了しているので、彼女もこのような時間をとれる。

ふくれっつらで「むー」と唸りつつ、坂から屋敷に続く道の遥か向こうを望む。
と、暗がりの中にある街灯に何かが写った。
それを不審に思って、翡翠はもう一度眼を開く。
視力は悪いわけでもないし、かといってそんなに遠くの物を判別できるわけでもない。
だが、紫色の服を着た人が写ったのは確か。
そうしていると、人影は次の街路灯に照らされた。

…シオンだ。

シオン・エルトナム・アトラシア。
今年の夏に志貴がつれてきた女性。
それからは翡翠のもう一人の主人である秋葉と友好関係を築き、 一昨日に手紙が着たばかりだ。
今日の日付は十二月一日。
翡翠は内容を思い出すと、一層凛とした態度を作ろうとして…失敗した。

近くなるシオンに眼を凝らすと、志貴を背負っていた。




「志貴様!?」

悲鳴をこらえて翡翠は上ずった声を上げた。
持ち場である門を離れるわけにも行かずおろおろとしていると、シオンは足を速めた。
シオンが翡翠の元に駆け寄ると、あいも変わらずの落ち着き払った口調で言った。

「お久しぶりですね、翡翠。」

場違いかもしれないが、ヘタに振る舞いを変えれば不安を煽ることになる。
しかし、深刻そうな顔をしている翡翠を見ると、なんとなく罪悪感に駆られた。

「途中で出会ったのですが、坂のあたりで貧血を起こしたようです。」

「志貴様!」

華奢なシオンが男の志貴を負ぶうというのも様にならない構図ではあるが、
今はそんなことを言っている場合ではない。

「私もそろそろ限界です、ロビーまでは運べると思うのですが。」

努めて平静な面を装いながら、薄目を開いた顔で呟くシオン。

「姉さんと秋葉様を呼んできます!」

血の気がサーッと引いた…いわゆる青ざめた顔で、翡翠は泣きそうな声を上げながら踵を返した。








嘘をついてしまった。








「ったく、貧血なんて言って。ばれたらどうするつもりだったんだ?」

翡翠が走り去った後、急に耳元でささやかれた言葉に、シオンは驚愕した。
眼を見開いて、小さく震え始める。

「っ!志貴!?」

脊髄反射の速度で振り返るシオンはと逆に、不機嫌そうに眉をひそめる志貴。

やはり、怒っているのだ。
嘘をついてしまったことに対して、志貴は怒っているのだ。
シオンが誤って昏倒させてしまったのに、それを志貴の貧血などといってしまったことに。

「何時から気づいていたのですか?」

憤慨されるかも知れない、嫌われるかもしれない。
そんな不安が、シオンの脳裏をよぎる。
必然的に弱弱しくなっていく言葉尻。
半刻前は高揚していた気分も、今や冷水を浴びせかけられたように萎縮していた。
志貴の表情を見るたびに、罪悪感が波になって打ち寄せる。

「"お久しぶりですね、翡翠。"からかな。」

だが、次にはシオンが思い描いていた表情とは違う物が浮かんだ。

「翡翠だからよかった物の、琥珀さんならバレてたぞ?」

子供のような、悪戯っぽい笑みと共に、志貴は呟く。

クスリやその副作用を熟知している琥珀にとって、仮病はもちろんの事、 貧血をしたときの誤魔化しも通用しない。
その点、翡翠は志貴の事を過保護とも思えるくらい世話しようとするきらいがあるので、 些細なことでも顔色を真っ青にしてしまうことが多かった。
心配される側の志貴としては、心配されることはとても嬉しいことなのだが、 そのことを考えると胸が痛む。

「怒ってはいないのですか?」

シオンの不安げな声には、恐れがそのまま現れてしまっていた。
嫌われたくないという、その一心が。

怯えた小動物のような顔。
志貴はそんな顔を幾度と無く見てきた。
陽気なアルクェイドや、柔和なシエル、厳格な秋葉、割烹着の悪魔たる琥珀も、意外と寂しがり屋の翡翠も。
いずれもこんな顔を見せる時がある。
そんな時に限って、庇護欲を掻き立てられてしまうのだから不思議だ。

「アルクェイド達にはもっと凄いことされてるから、もう慣れた。」

憮然としていた顔が一転して、志貴の表情には何故か愁いが含まれていた。
逆に、シオンは安堵の表情を浮かべる。

会話が終わると、シオンが志貴を下ろし、志貴は地面に足をつけた。





「姉さん!秋葉様!」

駆けて行った翡翠の声が聞こえた。






心配そうな翡翠には悪いが、志貴はもう快調である。
志貴とシオンはお互いばつが悪そうに顔を見合わせると、そろって苦笑した。

「どうします?」

「どうする?っていわれてもなぁ。」

別段焦った様子もない声でシオンが言うと、
志貴は憮然とした顔で答えた。
その顔といったら、悪戯に参加させられた共犯の子供のそれである。

「もう一度貧血起こすわけにも行かないし。」

手にあごを乗せて考え込む志貴。
本来ならシオンのほうがこういったことは得意なのだが、
共犯ならば口裏あわせもしなければならないだろう。

「とりあえず今起きたってことにしといて。」

「はい、了解しました。」

割と淡白な物言いに、シオンは普段見せない満面の笑みで答えた。
























後書き

さて、序章的位置づけは終了。
シエル先輩とのデートまでに一波乱ありそうです。
いや、デートからもあるでしょうけどね(^^;
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