すかっと爽快に今日も良く晴れている。
気まぐれといわれる山の気候には珍しく、昨日今日とは思わず感嘆しそうな晴天続き。

といっても、黒桐鮮花の心はもっぱら曇りばかりである。

もっさりした雪を被った案内図を見上げて、鮮花は陰鬱な調子で溜息を吐いた。


「何よ、もう滑ったコースばかりじゃない」


綺麗な黒い瞳の先にあるのは、家族向けのなだらかな傾斜の中央ゲレンデ、側面に位置する若者向けの傾斜の大きいコース。
山間を蛇行して、白粉でも塗りたくったかのような木々を思う存分楽しめる林間コース。
案内板でははじめて見るはずのそのどれもを体が覚えていた。

…昨日から一心不乱にゲレンデを滑っているせいだ。

「…ふう」

ゴーグルを上げて、他のコースがないか探してみる。
だが、このスキー場の構造は簡単なのでそれ以上もあるはずがない。




山頂に麓からのリフトが伸び、その間の丁度中心に一つの中継点というべきか、麓からの終着点、そして山頂への始発点が存在 する。
周りの木々を遠慮なく削ぎ落とした中央ゲレンデは、正に山頂から流れる大河。
その大河に突き刺さるリフトの支柱の数々は、さながら山を縛る糸を留める杭である。

晴れた山の頂上から分かれるコースは、案内板によると中央のゲレンデの右側面…東向きの斜面に続いている。
東側の斜面…若者向けの傾斜のキツイコースは山の上部に緩いカーブを描き、中継点で合流していた。
中継点のあたりからは、中央ゲレンデを右から一回、左から一回と、計二回横切って麓のリフト乗り場まで到る林間コースがあ る。

人工的な匂いのするスキー場は、上部と下部に分けられる構造でその所以を明らかにさせていた。
それからうかがい知れるこの山の全容は、いやが上にも錯誤を覚えざるを得ない。
人の作り出したものではない山を、無理やりに作り変えてしまったせいか。








「…まったく、全部兄さんのせい。そうに決まってる」

「そりゃないだろ…、外で目を離すと直ぐこれなんだからさ」

暢気な声が背中に当たる。
…恐る恐る振り返ると、少しむっとした顔の青年が立っていた。











シオンの苦難

第二十四話「由来錯誤、」











「そりゃーない、っていうのはこっちの台詞です。あんなにイチャイチャしてるんだもの、痛い思いくらいして欲しいくらい」

「…やっぱり雪玉投げたのか」

「ええ、デレデレしちゃって。みっともないったら」

つーんと、そっぽを向いてみる。
それから、ちらりと横目で青年の顔を盗み見てみた。

時代錯誤な黒縁眼鏡に温厚な顔立ち。流行など知らぬ存ぜぬといった髪形。
それらの中の童顔が、眉をハの字にして自分を見つめていた。

――ちょっと久しぶりなので、少しはいじめてやりたいのだ。

二の句を告げられずにいる彼に口元をほころばせて、鮮花は髪を風に躍らせるように振り返った。

「まぁ、いいわ。でも今日くらいは付き合ってもらいます」

「む、二人に迷惑かけない程度にね」

「この期に及んで…、あの二人に水をさすのは無粋というものですよ」

まだ踏ん切りをつけてくれない青年が憎たらしいので、精一杯の皮肉をこめて言ってやった。

そうだ、勝手気ままなあの泥棒猫と、おちょくり癖のある師はこの際二人仲良くゲレンデを走ってもらえば良い。
…それはそれで不気味かもしれないが。

「そう…かもね、久々にこんなところに来たんだし」

わかってくれたらしい。
尤もだ、といいたげな顔の青年は、その言葉の後に軽く頷いた。

「なら、早速行きましょう。昨日も放っておかれたんだから」

「悪かったって」

ついと滑り出る鮮花の後ろに彼が続いて、案内板の前からコースに滑っていった。






元々、兄妹水入らずというわけには行かないと思ってはいたが、まさかここまでとは考えていなかった。
昨日一杯、調べ物と称してスキー場以外にも足を運んでいた幹也には夕食時に一度会ったっきり。
悪い癖である。彼は何かに没頭すると他の物事まで気が回らないのだ。

と、ここで自分を気にかけて欲しいというのは、果たしてわがままと言えるのだろうか。

硬い学校柄、遊びに疎い鮮花にとってこういった機会は珍しいといえる。
そんなものだから、こういうチャンスだけは逃せない。

それに彼は昼行灯みたいな兄であるが、意外や意外にちゃっかりしている。
一生小指を立てるような縁などないと思っていたのに、今やそれも懐かしい話。

とはいえ、先に惚れたのは鮮花である。
唐変木の兄に対して、兄妹の愛情ではなく、男女の愛情を求めるのは、世間的に見ても背徳的だ。
が、だからこそ。
慕っていた相手を、行き成り、鮮やかに掠め取られてしまったときは臍を噛んだ。




それに、昨日の新しい女は、悔しいが美しかった。
彼女がうっすらと頬に紅葉を散らしていたことを思い出すと、また激しい感情が沸いてくる。
エキゾチックな顔立ちは日本人ではなく、しっかりとした目鼻立ちが、同姓の自分の心臓の鼓動さえ早打たせた。
理性を感じさせる淡々とした口調、芯の強そうな眼差し。
その二つが、どうにも幹也への慕情を隠しているような気がしてならない。
女のカンという奴だ。
口をきいたときの妙な気恥ずかしさ、幹也から手を差し伸べられたときに浮かんだ喜色に満ちた面。

…間違いない。

あれはマジで恋するンー秒前どころか、現在進行中でアイエヌジーとかつきそうな感じだ。

あんな顔、あんな目、自分では到底敵いそうにない。
だからといって白旗をあげるなんて持ってのほか。

なんだか急に染みて来た不安に頭(かぶり)をふって、鮮花は口をこじ開けた。

「…それで、結局どうだったの?」

「ん?」

「このおかしな山のこと」

二人だけの時間が大切だっていうのに、ふとこんなことを口にしてしまう自分が恨めしい。
悔やんだのは、やはり言葉を音にしてからだった。

「…?」

けれど、目の前の彼はストックで雪をつつきながら疑問に間の抜けた声を上げるだけだ。

「まぁ、いいです」

一瞬の後悔の後に、安堵した。
この時間は何物にも変えがたい。どうでもいいオカルト話で潰してしまうのは勿体無さすぎる。

「今晩のナイターが終わったら処理しにいく、とか言ってたから、私たちはその間宿でゆっくりしていましょうか」

「…」

「たまには二人っきりでね」

だんまりな兄にウィンクなんてしてみせる。

「…二人っきりって…はぁ。お前ね」

と、呆れたのか、溜息と一緒に言葉を吐かれた。

「…私とじゃ駄目だって言うんですか?」

「そういうわけじゃないけどさ。せっかく皆で来たんだから、皆で…ね」

「…朴念仁」

鮮花は、ストックで幹也のスキー靴をカツンと打った。













スキー場の定番、と、誰もが口を揃えるであろう曲のエコーを聞きつつ、幹也は佇んでいた。
何も穿き慣れない硬いブーツにうんざりしているわけでもなく、疲れて腰を落ち着けたいというわけでもない。

この場に来た途端、顎に手を当てなにやら一人で考え込んでしまった雇い主を待っているのである。
時折ぶつぶつと何某かの言葉を整理している様子ではある、しかし何もスキー場の案内板の前ですることはないではないか。

「なるほどな。これで憶測から確信に昇格だ」

そろそろホットレモンでも買いに行こうかと思い立ったとき、やっと橙子が顔を上げた。
全くこの人はなんでこうマイペースなのか、あったかい飲み物でインターバルくらい挟んでもバチは当たらないだろう。
しかし彼女の顎についた手袋のロゴマークがくっきりと残っていたので、噴出すのを堪える代わりに笑顔で応えた。

「どうしたんですか橙子さん?」

怪物みたいな雪を被った案内板を見上げて呆れたように白い靄を吐く橙子に、幹也が問う。

「ん、まぁ構造上の問題ってわけじゃないが。違和感、わかるだろ?」

くい、と顎で指す案内板には、油絵のようなこの山と、そこかしこの場所名が書かれている。
とはいえど、幹也にしてみればその案内板は案内板にしか見えないわけで。

「んー」

このように、首をかしげる他ないのである。
そんな青年に憮然とした顔を見せて、いつもの癖で煙草を探す橙子。

「まぁいい。お前が解らなくても今晩で解決せざるをえないしな」

「そうなんですか…」

「逆に一晩で片付かないなら、尻尾を巻いて帰るがね」

橙子は言いつつ胸ポケットを弄って、今度は大仰に溜息を吐いた。
…煙草が切れていたらしい。

「結局わかんないってことじゃないんですか?」

不躾な幹也の言葉に気分を害したのか、スモーカーの癖に白い歯を見せ付けて橙子が哂う。

「一日で駄目なものに何日かけたって無駄だ。それに一定期間を必要とするものでもない。
 こういう問題に関してはアナログなようで結構デジタルなんだよ」

「はぁ」

「まぁ、こっちには式がいる。最悪の場合にはアイツにどうにかしてもらう」

「はぁ」

生返事しか返さない幹也。
そんな彼にますます笑みを深めて、橙子は急に翳った顔で呟いた。

「キミのドッペルゲンガーがこの山にいるかもしれないな。気をつけたほうが良い」

その後、何やら喧しくなった彼を無視して、橙子はゲレンデに滑っていった。




今回の件の中身。橙子の憶測が寸分違わず的中しているとしたら、これは橙子にとってお門違いもいいところだ。

一部を露骨に避けるようにして存在するスキー場の中に、取り残されたそれ。
最近になって多くなってきた神隠しやら何やらの原因はきっとそれにある。

地域信仰…とまでは行かなくても、八百万の中の一つに当てはまるものが時にこういったことをする。
俗っぽく言うとすれば神様の悪戯という奴だ。
狭い島の中に八百万の神、規模や能力はそれこそ違えど、日本というのはそんな数を詰め込んだ国なのである。
となれば、山の一つ、道端に一つに神が在ってもおかしくはない。

土着した【そういったもの】は、大概現代においては忘れられている。
しかしながら、【そういったもの】は忘れ去られたからといって亡くなるわけでもない。

忘れ去られてしまったために、言わば彼らの庭であり棲家であり領域を汚すような真似を、人はする。
人から神格化した神が多くを占める中、彼らの領域に土足で入り込み、好き勝手に荒らしまわる真似をする。

人間が、他人から自宅へ勝手に入られ散らかされた気持ちと同じようなものか。

橙子の言ったことは、素直に謝ってダメなら逃げるしかない、というものだ。
逆にそこまで行くなら魔術師じゃなく、祈祷師を寄越せというのだ。

相手の力が強ければ先ず間違いなく敵わないし、弱くとも土地神が亡くなると土地が枯れる時も在る。
だからこういった仕事はしたくなかったのだ。
観光がてら適当に済ませておこうと安請け合いしたのが裏目に出た。







「全く、ツいてない」

ホテルの売店にお気に入りの銘柄がなかったことを思い出して、橙子は胸ポケットの中にある空のボックスを握りつぶした。














後書き


からっきょパートも大詰め。
月姫と絡ませるとどうしてか宙ぶらりんになりがちで申し訳ないですが。

さて、この先でまた一つ山場があって締め、ってことになりそうです。
でもあんまり壮大なモノはないので。

あ、ちなみにスキー場の定番って言えば、私は広瀬香美だと思っているんですが、どうでしょうね。
他にはゆずとか、っていってもここ五年くらいは山にすら行ってませんので最近の流行はなんとも(苦


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