もくもくもく、もくもくもく。

両性的な面立ちに、むき出しのナイフのような双眸。
一見物騒な雰囲気を湛えている様にさえ感じてしまう隣の彼女。
しかし、志貴の古い眼鏡越しに見える姿はいささかズレがあるらしい。

猫のようにツンと高い鼻と、気まぐれそうな釣り目、そしてなにより落ち着かない口元。

彼女のどこに剣呑の色があるのか、お茶請けの薄皮味噌饅頭を頬張りつつ緑茶で静々と流し込む姿はいっそ可愛らしいともいえた。

「なんだよ、じろじろ見やがって」

もくもくもく、もくもくもく。

ムッとした顔で彼女は呻く。
それでも、志貴にとってそんな行動でさえも何故か微笑ましくて堪らなかった。

「いや。かわいいなぁ、って思って」

「うっ…ごふっ、んっんん!?」

照明が暗いので、自動販売機の煌々とした光が唯一の明かりとなってしまっている。
お互いベンチに腰掛けそれを背にしているせいか、緩急の付き過ぎた陰影はかえって見づらくなっていた。

「大丈夫?」

「っこふ、誰のせいだ…、誰の…!」

なんとか搾り出した声を恨みがましそうにぶつけてくる隣の女の子に、志貴は困ったような笑顔を崩せなかった。


きりりとしてすっきりとした目鼻と、不機嫌らしくへの字に曲げられつつもしっかりと白桃色の唇。
意外に柔らかそうなそうな頬には、ぞんざいに切りそろえられた髪が掛かっている。
華奢な体。中でも一番美しいのが浴衣から髪の隙間に覗く、白くなだらかなうなじ。
きっと着物を着せたら抜群に似合うに違いない。










【シオンの苦難】

第二十三話「違うようで同じキミ、同じようで違う自分」












ざくざくと気持ちいいくらい簡単に問われた疑問は、あるいは自らの疑問でもあった。

人を殺したことはあるか、…人を殺したいと思ったことはあるか。
直死の魔眼をもって、どう思うか。…どうしてそんなにまともな面をしていられるのか。

同じだからこそわかる自分たちの異常性。
もしくは、この異常性が自らだけのものなのかという不安。

だからこそ、先の問答の疑問の応えは十分に期待を満たすことができた。


共感を覚えても、近いものだからこそ同一にはなれない。
生き方が交わらなければ、お互いはお互いに気づかない。
逆に交わってしまえば、どちらかが終わるだけだというのが知らないうちに理解できていた。

お互い初めてシンパシーを得た相手を失いたくないという感情と、双方の優劣を決めたいという本能に近い動物的な感情。
相反する裏腹の矛盾、宙ぶらりんの状態が何故か心地よかった。

「なんなんだよ、お前」

「ただの高校生」

「そうじゃなくってな…あー、お前調子狂う」

「そう?」

「大体な、今までナイフ出してた奴にニコニコできるなんてどういう神経だよ」

「んー、こういう神経」

「ちっ」

のらりくらりと子猫の戯れをよけるように、志貴は刺々しい言葉の矛先を適当にやり過ごしてみせる。

その当の少女はというと、饅頭を無くした包装紙を憎らしいといわんばかりでくしゃくしゃに丸めて屑篭に向かって投げつけていた。
それはヒュッと軽い音とともに暗闇に消えて、カサリ、これまた軽い音が起こる。どうやら入ったらしい。

「ないすしゅーと」

「ぶつよお前」

何がこんなに気に入らないのだろうか。
アルミの缶をパキパキ言わせて、冷たい緑茶に喉を震わせている彼女。

さばさばとした雰囲気を受けるのは、やはりさっぱりとした顔立ちと荒っぽく切られた髪のせいだろう。
仕草の一つをとっても女性的な部分と男性的な部分があって、小気味のいい姿に見えた。

そういった部分も含め、隣に座っている彼女は女性だというのに全然異性の垣根と言うものが無い。
ぶっきらぼうな言葉遣いも重なって、十年来の悪友のような感さえ覚えてしまう。
たいそう久方ぶりに、自然と穏やかな気持ちになってしまっていた。

だが、その一番の原因は…

直死の魔眼。

の、せいか。

結局は境遇が似通っているだけで、感じてしまった共感だ。


ムスッとして空き缶となった緑茶の入れ物を振ると、彼女は面白くなさそうに切り出した。

「全く何なんだお前」

不機嫌ここに極まれり、といった人相で、プルトップを摘んだ手とは逆の手の中指で缶を弾いてみせる。

「殺したい、とか思ったことないのかよ」

「あるよ」


不意に缶を弾く音が、止まった。


「あるけど、好きでそうなってるわけでもないよ」

「それは嘘だ」

突拍子も無いのが彼女だ、と割り切っていても、この突然さは心臓に悪い。
冗談は許さない、といったふうの厳しい目で見据えてくる彼女には、それ以外一切の混じりけが無い。
それを感じ取ったのか、今まで穏やかだった志貴の顔が少しずつ悲しそうになるにつれ、彼女の面持ちもそれに引き摺られていった。

仏頂面の癖に表情のわかりやすい彼女は、寂しそうに続ける。

「嫌いじゃないやつでも殺したくなっちまう」

「…」

「一種の快楽さえ感じてる」

メキメキメキ。
中身を失った緑茶の缶が息苦しそうに悲鳴を上げる。

否。苦しそうなのは、隣の少女だった。
嗚咽さえ堪えている様に見える表情は、いつかどこかで誰かの顔で見たことがある。
息苦しくて、溺れそうになっているのを、必死な喘ぎで、助けを求めているような。

だから、少し安心した。
不謹慎かもしれない。
けれど、志貴は彼女の様子に安心した。

人を殺したい、そう思ったことがあるのか。と聞いた。
そんな彼女が、殺しに戸惑いを感じている。

志貴の言葉をさえぎって紡がれたはずの言葉が何故か独白じみた懺悔のように聞こえて、志貴はわざとらしい明るい声で嘯いた。

「そりゃ、嘘だ」

「…なんだって」

こぼされた言葉に、少女は怪訝な顔をして聞き返した。
苛立ちさえ覗かせる言葉をくすぶらせる様にして、綺麗な唇をひしゃげる。

「殺人衝動(そういうの)は、外から、暴力的に(むりやり)くるものだ。なら自分自身で止められるわけがない」

常識や良識なんかでは、危険な衝動を抑えられるわけが無い。
淡々と述べた志貴の呟きは、実際のことだった。

空腹のときに糧を求めるのと等しく、また喉の渇きと同じだ。
喉が渇く、殺したい。水が欲しい、殺したい。
渇けば渇くほど欲求は強くなり、たまり続けるフラストレーションは代償行為で誤魔化せない。

だから殺す。腹が減って飯を食べる。喉が渇いて水を飲む。それとどこが違う?
背中を押す衝動は、能動的な行動意識ではない。
ナイフを握る手は、自分ではない何かに突き動かされていた。

強烈に呼び起こされた欲求は、理性の箍をいとも簡単にはずしてくれる。
実感のないまま血に塗れた手は、事の終わった後で震えてしまう。

「…?」

暗い廊下の奥に向けられている目は、何を見ているのか。
いや、虚ろな目はきっと何も見ていなかった。

「だから、止めてもらうしかないんだよ」

衝動の結果は、常識と良識の世界で生きてきた自分にとっては受け入れがたいもの。
罪を犯したことに対する後悔と罪悪感。

もし、アルクェイドを殺したときにシエルに拾われなければ。
もし、アルクェイドを殺したと本人に告げた懺悔を笑ってくれなければ。

絶対に、遠野志貴はおかしくなっていただろう。
自分じゃどうにもできない、取り潰されそうになる重りから救ってくれたのは、自分じゃない。

「だれに」

「…いるだろ、大切な人が」

目を隣の娘に向けて、また笑ってしまった。

「…いないね」

拗ねた子供みたいに唇を尖らせて俯く彼女の横顔は、少し赤めいている。

「そうか」

そういう様子が、彼女の言葉を裏切ってしまっていた。

「じゃあ、恋人だ」

「っ!」

きりっとした端正な顔が、一瞬ギョッとしたように崩れる。
そんな子供ともつかない垢抜けない顔が、とても可愛らしい。

この少女の恋人は、たぶん彼女のこういうところを好きになったのだなぁ、と志貴は思った。

良くも悪くも純粋で、猫のように気まぐれで、放っておけない寂しがり屋。
不器用で、気持ちを表現するのが苦手な人。

そして、この少女は恋人のことが大好きなのだろう。
相手は、志貴と同じようにマイペースで、今のように無用なお節介を焼きたがるのか。

イライラしていそうに見えても、微かに変わった空気。
柔らかそうな頬を紅潮させて、精一杯不機嫌を装っているのだろうか。

「その人もキミも、きっとお互いを好きなんだろうね」

「〜っ!」

今度こそ真っ赤になった。
非の付け所の無い、羞恥とも緊張とも怒りともつかない顔。

「大事にしたほうがいい」

立ち上がる。
いい加減に重くなってきた瞼と一緒に来た気だるい雰囲気を鬱陶しげに感じながら。
振り向かず、その場を後にした。






お節介にもほどがある。
それに、何かを教えてもらったのは志貴自身のほうだ。

彼女は裏表がない分、素直だ。が、それに対して自分はどうなのだろう。
先生のいった言葉を心に刻み込んで、常識と良識に則って生きている。
世捨て人じみた本心を持ちつつも、常識と良識という服を着なければ生きていけないということがわかっていて、それを羽織っている。

魔眼か、もしくはそれ以外のモノか、それらの影響を真っ直ぐに受け入れてしまった彼女と、それらを頑なに拒み続けた志貴。

妙な賢さを身に着けてしまった志貴と、不器用なままで迷ってしまった彼女。

姑息な処世術を知らないだけで、純粋で素直で不器用な娘。

なんとまぁ、どこかの誰かさんとそっくりではないか。











「「大事にしたほうがいい、か…」












「うーん、人に言えた義理じゃないなぁ」

押し殺した笑い声と、間の抜けたスリッパの音がぼやけた廊下に霞んでいく。

…最後に一回だけ、楽しげな溜息が重なった。













「「そういえば、名前聞いてなかったな…」」




















後書き

旅行編第一の山場は終了です。
志貴と式。志貴と幹也のことをテーマにした今回の旅行編。

恋愛に関しては多分志貴のほうが上手でしょうねぇ。

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