どうにも寝付けない。
非常灯の明かりと小さなフットライトが照らし出す廊下を、式は歩いていた。

さっき見かけた金髪の「何か」を探したいというのもある。
しかし、今は落ち着かない頭を整理するようにして冷たい空気を感じていた。

先の橙子との話に出てきた、おそらく魔眼もちの男。
その男はどういう因果か黒桐幹也と瓜二つで、性格もなかなかに似通っているという話だ。
とすれば先刻、金髪の「何か」をこれ以上ないくらい冒したくなった時に見た幹也も、見間違えなのだろうか。

ありえない話でもない。
そのときは、はっきり言って異常に興奮していたし、寸前に頭を掠めた幹也の言葉のせいで小さな罪悪感が擡げたと言うのもある。
…正直に言えば、両儀式は動転してしまったのだ。
今まさにナイフを振り下ろそうかというときに、一番見られたくない幹也がいたこと。
自分とは比べ物にすることすらおこがましいほどの美しさを持つ金髪の女に、幹也が抱きつかれていたこと。

一瞬だったから、式にはその男が黒桐幹也であるという判別がつかなかった。

…正直に言えばこれも嘘で、狼狽した分正確な判断ができなかったという意味であるが。

大きく息を吸って、吐く。
妙に冷めた空気を肺に溜め込んで、むしゃくしゃする頭をふった。

この山に来てから、どうも調子が出ない。

自然と、足が自動販売機コーナーに向かっていた。
夕食が散々で、口に運ばなかったのだから、どうしても空腹は誤魔化せない。
昼間にスキーで無駄に体を動かしたこともあって、気を抜けば腹の虫が泣いてしまいそうだ。
そもそも、体裁を取り繕って態々豪華に見せかけるよりは、ジャンクフードのように最初から相応の形にすればいいのに。

やるせないため息を吐きながら、一際明るい休憩所に入る。
と、やはり売店はしまっていて、まともなものは自動販売機のなかにある、値段の高い飲料ばかり。

…まったくツいてない。











【シオンの苦難】

第二十二話「同じようで違う君、違うようで同じ自分」
















時刻は午前0時ちょうど。
ロビーに置かれていた柱時計の音か、静寂のせいで耳障りなくらい大きく聞こえてしまう。
ぼーん、と十二回。
いい加減寒くなってきた体を一つ震わせると、式は革ジャンの前を閉じた。

長椅子に座り、ぼぅっと床を見下ろす。
特別何があるわけでもなく、変化などまるっきりありはしない。

…はずなのだが、廊下の奥に黒猫を見たのは気のせいだろうか。

今度は注意深く闇に目を凝らしてみる。

すると、光った。
猫特有の目で、その黒猫はこちらを見ている。
暗闇に慣れてきた式の目がとらえたのは、野良とは思えない、大きなリボン。
飼い猫か、と思った。

猫は嫌いじゃない。何者にも媚びず、勝手気ままに生きる姿が小気味いい。
けれど、食べ物を貰える相手に対しては腹を向けるのがまた現金で、いい。
残念なことに式は今食べ物を持っていなかった。持っていたとしても誰かにあげることはないが。

つい、と、暗闇のカーテンからまろびでたその黒猫は、上品な歩みで式に近づいてきた。
こうしてみると可愛いものだ。
猫には束縛の首輪もなく、そのくせ毛並みはきれいに整っている。
足に擦り寄る猫を見ていて、ちょっとだけ穏やかな気分になれた。

「ヘンな奴だな。オレに懐いたっていいことないぞ」

華奢な体をヒョイと持ち上げて

「…メスか」

仏頂面で苦笑した。

人になれているようで、黒猫は式の手を拒もうとはしない様子に、なんとなく心を許されているような感じを受けた。



「こんなところにいたのか」

黒猫と戯れているちょうどその時、暗闇のほうから声が届いた。
その声の主が飼い主なのか、黒猫は顔を上げて返事をするように小さく鳴いてみせる。
猫が顔を向けた方向に目をやって、式は眼を瞬かせた。

「あ、すいません。その子の相手させちゃって」

所為は、暗い廊下の置くから浮かび上がり、申し訳なさそうに頭を掻くその男の顔が黒桐幹也にそっくりだったからだ。

「でも驚いたなぁ、結構人見知りする子なのに…」

人の良い笑顔を浮かべて、その男は近づいてくる。
呼応するかのごとく、猫はうれしそうに、また彼の名を呼ぶように忙しなくはしゃぐ。

時代錯誤な黒縁眼鏡、流行など元から知らぬといわんばかりの髪形。

彼が、橙子の話していた男か。
無意識のうちに体がこわばり、右手はポケットの中に向かっていた。

黒猫が膝から飛び降り、彼の方に走っていく。
それを抱き上げて、あろうことかその男は式の隣に座った。

「寝付けないのかい?」

「…」

幹也にそっくりな顔で、そんなことを言う。

「そういうお前はどうなんだよ」

何故か喋り方が癪に障って、ぶっきらぼうに返した。

「なんだか暖房が嫌になってさ、ちょっと涼みに来た」

というのに、屈託のない笑顔で敵意を避ける。
だから、イライラした。

幹也と同じ顔、同じ笑い方、同じ雰囲気。
…なのに、それらの中には危うい何かが隠れているような気がしてならない。
調子が出ない。普段ならいっそナイフでも出して挑発するところなのに。

忘れていた。

この男は、魔眼をもっている。

「お前、人を殺したこと、あるか?」

故に唐突に、そんな質問をしてみた。

一寸だけギョッとした顔をして、またその男は黒猫の喉を撫で始める。
心地よさそうに身を任せる猫には警戒心の欠片もなく、愛撫は親から子へ向かう温かみさえ見えた。

男を盗み見る。
魔眼殺しの奥の瞳は通路の奥にある非常灯のマークをぼんやりと見つめて、静かな様子を崩さない。

もしかして、この男は本当は魔眼など無くて、ただの通りすがりの人間かもしれない。
そうして、馬鹿みたいな質問をした式にどう反応すればいいのか迷っているのかもしれない。

黒猫が目を細める。

「あるといえば、あるのかもしれない」

沈黙して大分時間がたったように思えたが、柱時計の鼓動を数えてみたら、一分にも満たなかった。

静かに喘ぐように溢された彼の言葉は、苦々しく、痛々しい。
返答が至極当たり前、といったふうの男は、どこか悲しそうな目をして深く息を吐いた。

―――ああ、こいつは幹也とは違う。

安堵か、もしくは落胆か。彼の溜息の後、式はつまらなそうに口をひしゃげる。

「よくわからない奴だな」

「そうかな?」

「そうだよ」

不思議な感じがした。

「…」

「…なぁ」

「ん?」

「もし、いきなりモノの死を見ることのできる目になっちまったら、どう思う?」

我ながら言葉をオブラートに包むのは苦手だ。
けれども、そんなことをしなくてもこの男には伝わるような気がした。
さっきの言葉が、それを如実に証明してくれている。
彼と、自分は似たもの同士なのだと、漠然とした感覚が告げていた。

数瞬の後、彼は式の言葉がさも当たり前だというかのように、苦笑する。

「こんな目、いらないって思うよ」

「そうか、…そうだよな」

答えに満足していないのか、なんとも言いようの無い顔で呟く式。

「けど、それで色々大変な目にあったとしても」

不意に、調子のしっかりした彼の言葉が、しんと静まり返った休憩所に響いた。

「そのおかげで出会った人たちが大切なら、例え辛くても耐えられる」

「…」

「…と、思うよ俺は」

お互いがお互いを理解している気がした。
式も、彼も、相手が自分と同じようなものであると、知らないうちに理解しているのか。

「そうか」

「そうだよ」

ぬるま湯につかっているような、そんな気分だった。

「それが大切な人であればあるほど、ね」

聞こえないように呟かれた声音も、こう静かであれば聞こえてしまう。
その横顔が、言葉が、あまりにも幹也に似ていた。

それでも、式にはわかっているのだ。
この人のよさそうで、押せばよろめきそうな男でも、自分と同じ危険な衝動を持ち合わせていることを。
こうして穏やかな顔をしていても、どこかに鋭利な顔を隠しているかもしれないということを。

似ている。
自分、両儀式と彼は、似通っている。
魔眼だけでなく、根っこの部分が限りなく近い。

シンパシーを感じずにはいられない、だが、同じにはなれない。

だから、彼女はナイフを取る。




「正直に言えよ、今まで何をどれくらい殺ってきたんだ?」

相変わらず、自分は会話をするのが下手だ。
なぜなら、式は聞きたいことを聞き、言いたいことを言うだけのやりとりしかしない。
先ほどからの問いの疑問も、ただ聞きたかったことに過ぎず、あるいは彼の疑問でもあったはずだ。

口を突いて出た乱暴な言葉尻にも、今にも飛び掛りそうな式の内面が顕著に現れてしまっている。
反面うずうずしてこれから先を待ちきれないといった、理不尽な期待も織り交ぜられていた。

鈍色に非常灯の緑がぼんやりと映りこむ。

緩慢な動作で、ポケットから匕首程度の長さしかないナイフを取り出した。
ネオンサインみたく光るナイフを目にしているはずなのに、男は身じろぎ一つせず、ただ猫を撫でている。

「数えるのも面倒って、言いたげだな」

曲芸の真似事をして、刃を逆手に握った。
いささか皮肉の過ぎた台詞に気分を害したのか、ちらり、と男は式を見た。

椅子に腰掛ける男女二人と猫一匹に剣呑な空気。
安っぽい内装に不釣合いな調子を漂わせながら、男はゆっくりと袂に手を入れた―――。







いよいよだ。
刹那で成り代わった、青年の鋭い目つきに式は舌を巻いた。
未だかつて、こんなにも綺麗で真っ直ぐで、触れたら切られてしまいそうな目は見たことが無い。

橙子から聞いた話、橙子がなぞった線、二つを鑑みても、彼の腕前は相当。
一瞬にして人間を十七個の肉片に変える、それも芸術のような手際を持って。

式が行う殺しとは違う、完全な殺戮芸術。
戦いとは違う、殺しをできる人間。

ゾクゾクしてきた。

背筋を舐る冷たい感覚が頭を真っ白にしていく。















―――さぁ、殺しあおう。
















…ぐぅうう〜ぅ。

緊張の糸が張り詰めたかというとき。間の抜けた音が、存外大きく休憩室に木霊した。

「な、なっ…」

―――しまった。
今日は昼から何も口にしていなかったのだ。

式の腹の虫は空腹に耐え切れず、駄々っ子のように泣き始めてしまった。

「…」

呆気にとられた顔で、青年は式を見ていた。
あざける様な顔で見られたならばまだ怒りも沸いてこようと言うものなのだが、逆に間抜けな顔で見られたら力が沸いて来ない。
途端に、羞恥心が激しく襲い掛かった。
それを必死に隠そうと、顔を俯かせて睨み付けてみる。

駄目だった。絶対に耳まで真っ赤になってしまっている。

「〜っ!」

なんというかもう、恥ずかしくて死にそうだった。
暗い廊下に響いていく暢気な音と、目の前の人のよさそうな笑顔がそれに拍車をかけている。

「…あはは」

乾いた笑いを楽しんで、彼は立ち上がった。

問答が中断されたことは残念だったが、こんな状況で喋るも殺すもない。
足早に帰ってくれることを願いつつ、自己嫌悪の吐露が嘆息となって床に落ちた。

ガタン、と大きな音がした。

振り返ると、今まで隣に座っていた青年は自動販売機の前にしゃがみこみ、取り出し口に手を入れていた。
式の視線に気づいたのか、彼は手に取った缶を差し出し、袂に入れていた手から何かを取り出した。

「はいこれ。御茶請けの残りだけど」

また、申し訳なさそうに笑う彼の手には饅頭と、陳列欄で見慣れた緑茶が握られている。







なんか、カチンときた。







だっていうのに、受け取ってしまう自分が現金で、式はそっぽを向いて不貞腐れるしかなかった。













後書き

つづきます。

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