ニコニコと、まるで子どものような顔をして、子どもに手を振る青年。
そんな彼を見て、薄い青がかかったショートヘアの女性は苦笑した。

温和な顔立ちには今時珍しい黒縁眼鏡、流行など元から知らぬ存ぜぬの髪型。
相変わらず黒にこだわる服装は、スキー板にまでも及んでいる。

彼とは午前に入って、中腹辺りで一度別れてこの山の調べ物をしている最中だ。
もの探しや鑑定においては、彼女、蒼崎橙子も彼に一目置いている。
何せ、一般人の目をそらせるための結界を張った事務所に、何のてらいもなく入ってきたくらいだ。
そのくせ悪意の欠片もないのだから、当時は拍子抜けしてしまった。

「相変わらず、女の子には優しいのね? 幹也君」

ともなれば、この青年は橙子をどう思っているのだろうか。
もしかして女性とすら認識していないのではないか、というかむしろ給料を延滞する鬼上司とでもおもっているか。

リフトに腰を落として、その青年の顔を盗み見る。
すると、その青年も橙子の顔を覗き込んでいた。

「あの…どこかで逢いましたか」

青年は怪訝そうな顔でそういった。

―――なるほど、彼は余程私と縁を切りたいらしい。

胸の奥からふつふつと上がってくる真っ黒い苛立ちを、精一杯笑顔に込めてみる。
失敗、眼鏡を取って人格をスイッチしようとして、断念。
生憎ストックを握った手は離せそうに無い。それより拳骨の一つはくれてやりたいところだ。

つい、と青年の顔を見て、一瞬疑問が首を擡げる。

「あれ…、そういえば…。 ああ、ごめんなさいね。知人にとても似てたから」

「はは、そんなにそっくりなんですか?」

「ええ、女の子に優しいところもね」

注意深く視てみたところ、隣の青年は、橙子の助手の幹也より少し幼い雰囲気がある。
無邪気とでも言おうか、物静かな幹也と比べて多少の違いがあった。
鮮花あたりに間違い探しならぬ本人探しをさせてみたら、結果が楽しみだ。











【シオンの苦難】

第十七話「すれ違い、時折すれ違い」












「へぇ、志貴君っていうの」

「はい」

驚いたことに、橙子の目の前にいる青年の名の音は、彼女の良く知る無愛想な女と同じだった。
けれども、式とは違って、隣の志貴の性格は人懐っこい。
これが初対面だと言うのに、彼は邪気のない笑顔を向けてくる。
思わず惹かれてしまうような些細な魅力、これも彼の要因の一つなのだろう。
ほんの数分話をしただけなのに、彼のあり方が表れている声音が良く聞き取れる。
自分は冷血な魔術師であると言うのに、その彼の真っ直ぐな目に興味を持った。

わがままなガールフレンドと、優しい先輩と、厳しい妹と、家のお手伝いさん達と、夏に知り合った友達を連れてスキー旅行に来ているのだと、彼は言う。

良くもまぁそんなことをぬけぬけといえてしまう志貴に、橙子は久しぶりに笑っていた。
もどかしい思いをしているだろう周りの娘達が少し憐れにもみえてしまうので、橙子は一つ口を挟んだ。

「でも君はもう少し弁えなさい。八方美人過ぎるのもかえってためにならないから」

余計なお節介を引き出されるのも、この青年の愛嬌が故か。
対して当の彼は、そんな橙子の言葉に眼を瞬かせている。

「どうかしたの?」

「ぇ、あ。ちょっと懐かしいな、って」

「懐かしい?」

思いがけない言葉に、今度は橙子が首をかしげた。

「似てるんです。昔俺を救ってくれた人に…」

驚いた。
彼を救った人間云々の前に、真っ直ぐな彼が救われるほどの事態に面していたことにだ。
平和ボケでふやけた一般人の顔をして、子犬のように快活な少年が、一体何故そんなことになったのか。

「あ、もうすぐ終点ですよ」

青年のことで頭を抱えているのに、何をそんなに陽気な声を出してくれるのだ。
頭の痛くなる思いで溜息を吐くと、スキーの先端を上げた。

ともあれ、この遠野志貴という青年が気さくな様子であるのは、その彼の恩人が余程良い影響を与えたからなのだろう。
…と、そこまで考えて苦笑した。
自分は魔術師だ。
何故、日の当たるような世界に住む彼をここまで気にかけるのか。

「そうね。じゃ、縁があったらまた会いましょう」

珍しいことだ。
他人に関心を抱くなんていうのは、妹に対する殺意以来であろうか。


なだらかな斜面をすべり、後ろを振り返って気づく。
彼の名前は聞いたが、自分の名前は名乗っていなかった。
しかし、どうせ一度限りの間柄だ。こんな辺鄙な場所で自らの名を露呈することもあるまい。

妙に言い訳じみた言葉を呟くと、前を向いてコースから外れた木々の間を見据えた。
幹也の纏めた文献によると、この山の歴史は古く、色々な曰くというものが存在した。
良くある土地神程度の情報程度だったが、今回はそれが気になる。
古来より山は神や鬼、はたまた天狗といった人ならざるものが棲むと信じられてきた。
その名残で、多くの山には祠の類も見受けられることがある。
中には本物の英霊がいたり、幻獣の類が存在することも万に一つはあるのだ。

だが、今のところ物騒な雰囲気もなく、至って平穏そのもの。

もしこの平穏が作り物だったとしたら、それは余程の結界が張ってあるということになる。
―――山全体を覆い、なおかつ気づかせないほどの巧妙なものを作り上げるとしたら。
術者に害意があるとすれば、その者はいつでも中の人間をどうこうできると考えて杞憂はない。

「橙子さん?」

思考がどつぼに埋まっていく中、自らの名を呼ぶ声にはっとすると、声の発生源である後ろを振り返った。

黒いスキーウェア、時代の流行など知らぬ存ぜぬといわんばかりの黒ぶちめがね。

「…志貴…君?」

「あ、式ですか。式は先にスキーで下りましたよ?」

「…なんだ、黒桐か」

安堵したような、それでいて残念そうなため息とともに、橙子は眼鏡をとった。

「??」

「気にするな。それで、何か収穫は?」

よくよく見れば、彼は先ほどまでリフトの隣に座っていた志貴ではなく、橙子の助手の黒桐幹也だった。
鮮花に本人当てをさせようとかなんとか思っていたのに、最初の自爆はよもや自分だとは思っていなかった。
それにしても、本当に似ている。
性格は幹也のほうが落ち着いていて大人だというのは、雰囲気からしてもありありとわかる。
いつか鮮花に聞いた高校教師も含め、本当、同じ顔は世界に三人はいるのだな、と思った。

「はい。調べたところによると、この山には前まで小さな社寺があったようです」

相槌を打って、続きを促す。

「それで、このスキー場を作る際に大規模な開発をしたせいで、その存在はおろか山道も塞がれてしまったと、周りの人は」

「なるほど。だったら目星はつく」

怪訝そうな顔をする幹也を尻目に、山の奥を覗く。

「本当に、お門違いもいいところだ」

「何かわかったんですか?」

「大方、土着してる精霊だかが癇癪起こしてるだけだろう」

しきりに馬鹿馬鹿しいと口にしながら、今度は眼鏡をかけて斜面に向かって歩き出す橙子。

「幹也君は山中にあるはずの祠を探して。今日は探すだけでいいから、見つけても下手に手を出さないこと」

しっかり釘をさしてから、橙子はせっかくの午後を楽しむことにした。









風を切って滑り降りる。
黒桐鮮花は、此処にきた本来の目的をそこそこにスキーに勤しんでいた。
というのも、全てはゲレンデが悪い。

斜面を滑るのは何も鮮花だけではない。
多くの家族連れ、そしてカップルがスキーをこれでもかといわんばかりに謳歌している。
それなのに、地味に調査などやっていたら自身が参ってしまうではないか。
そもそも、一緒に行動するはずだった幹也が本当に聞き込みにいってしまっているということに納得いかない。
二泊三日の予定なのだから、もう少しゆっくりしてもいいだろうに、全く。
生真面目な兄に心底疲れた溜息を吐きながら、彼女は山の半分くらいまで降りてきていた。

ちなみに、このスキー場は結構広い。
ゲレンデは急斜面となだらかな面が広がっており、それぞれコースとして成っている。
積雪の影響か、元々あったであろう標識も既に雪に埋まってしまっていた。

「はぁ、虚しい…」

独り身を突きつけられるようで、なんとなくゲレンデが忌々しい。
連れ立って来た式も、調査なんかには興味がないと言って、そうそうに滑っていってしまった。
となれば、背中にのしかかってくるのは大きな虚脱感のみ。
今頃なら黒のスキーウェアが隣にいて、他愛のない話に花を咲かせつつ共に時間を過ごしていたはずなのに。
新幹線の中で夢想していた、水入らずのスキー旅行…というのは、脆くも崩れ去った。

唸る鮮花。
周りを流れていく人の波、色とりどりのスキーウェア。
その中に黒はいないかと眼を走らせるが、都合よくいるはずもなく。

「はぁ、なんだかどっと疲れた」

何かをやっていればこの陰鬱な気分も晴れるのだろうか。
せめて幹也でなくとも、式や橙子が居てくれたならまだ良かったかもしれないが。
唸ったところで何もしようがない。

つい、と、前に紫色のスキーウェアが滑り出てきた。
後ろになびくのは綺麗な三つ編み。
どこか危なげを漂わせる挙動で、よろよろと体勢を崩した後、その紫色のウェアはあえなく転んだ。
凸凹に足を取られたのか、思うように起き上がれないで居る。

彼女が顔を上げた。
紫がかった色の頭髪が美しい女性だった。
まつげが長く女性的な目鼻立ち、一瞬彼女の雰囲気見とれてしまった。

「…くっ、膝の柔軟性が足りなかった…!?」

小さな声で言いながら立ち上がろうとする彼女だったが、スキー板のおかげで立ち上がれないでいる。
自分の身長ほどの板をはいたままだと、体の勝手が少し違う。
そんな様子が放っておけず鮮花が歩み寄ろうとすると、その前に黒いスキーウェアが滑り込んだ。

「大丈夫?」

黒いスキーウェアの青年が言う。
と、女性の方は少し顔を綻ばせて頷いた。
それから立ち上がろうとしても、やはり上手く立ち上がれずに居た。

「はは、無理しちゃ駄目だよ。ほら」

差し伸べる手。
女性ははにかみながらそれを握る。
青年は女性の板を外しながら、抱き上げるようにして立たせた。

「あの、やはり先ほどの…その、お願いします」

「ん?」

「初めてですから、出来るだけ優しくしていただけると助かります…」

消え入る声に、苦笑いで応える青年。






絶句。
なぜか、頭の中が真っ白になって、槌で頭を打たれたかのような衝撃。
ぐわんぐわんと揺れる頭の中で、柔らかく笑う美女と、黒ぶち眼鏡の青年。

とりあえず、鮮花はぎっちぎちに固めた雪だまを青年に投げておいた。












後書き


ビジュアル的に、幹也≒志貴、鮮花≒秋葉だとおもうんですがどうでしょう。



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