――――夢とは、往々にして不可思議な物だ。

そんな誰もが思うような他愛のない、されど実に的を射ている思いを、 遠野秋葉はベッドの上で抱いていた。
行儀良く掛け布団の中に納まった四肢から感じるのは仄かな温かさと、寒さ。
相容れない両者を感じることすら興味深いというのに、 今朝はそれにも増して夢うつつのその上夢心地だった。
とも言うのも、眼前にある人間の顔が一手に引き受けてしまっているのだろう。

「…に…いさん?」

兄、遠野志貴がいる。
普通なら寝室に無断で入った、なんて常套句で大声を張り上げているのだが、 今日に限っては何故かそんな気分にはならなかった。
それ以前に、今はとても気分がいい。
もしかしたら、それは志貴が目の前に居るという幸福感なのかもしれない。

しかし、夢うつつに疑問が混じる。

遠野志貴は寝起きが良くない。
本人が起きようとしなければ殆ど起きないといってもいい。
けれども、今の気分ではそんな瑣末事は本当にどうでも良かった。
昨晩、過労で倒れたとか、久しぶりに一緒に寝たとか、もしかしたらはしたなくもソファで寝てしまった自身を運んできてくれた、 などとありもしない想像が頭をよぎる。
それなのに、まだまだ秋葉の頭の中は靄がかかっている。

そう、ならばこれは夢なのだ。

夢ならば楽しもう、と、実に彼女らしいといえばらしい思考が持ち上がる。
子どものような無邪気な顔、その表情だけは八年前と変わらない志貴。
志貴は未だぼんやりとしている秋葉に手を差し出した。
その手を、秋葉は恐る恐るといった風に握り返す。

――――なんて、こと。

普段はこんなことをしてくれないくせに、夢の中だけは真摯なことを。
そのまま引かれ、やんわりとベッドから降り立つ。
志貴の横顔は何か面白い物を見つけた子どものように、好奇心とか、そんなものを思い起こさせる。

その答えは、程なくわかった。

「…雪…」

往時の様に手を引かれ、行き着いた窓の前。
外にしんしんと降る真っ白な綿のような粉、雪が楽しそうに踊っていた。
振り返ると、そこに志貴の満足そうな顔。

――――そうか、これを見せたかったのか。

そう思うと、意識は遠ざかっていった。











【シオンの苦難】

第十三話「うぃんたーはずかむ、ばっとあうあらいふだずのっとちぇんじ」












「夢、か…」

部屋の主、遠野秋葉は自分の部屋の夢から醒めて、自分の部屋に居ることで落胆した素振りを見せた。
今朝見た夢は鮮明に残っていて、その分目覚めた時に正夢になっていないのでガッカリする。
視線を転がした、その先にある窓枠の向こうには白い世界が広がっている。

「でも、一部分は正夢よね」

大きな溜息を一つ。
やけに寒い理由はやはり四季、冬の代名詞にたる雪だった。
雪、すなわち水が大気中で結晶化したものである。
塵などの核を中心にして成るもので、こればかりは人工の氷には出来ない綺麗な結晶が出来る。

冷え込みが激しいため、新聞などでも雪の到来を告げていたような気もする。
準備を怠ってネグリジェ姿で寝てしまったのは失敗だったか、布団から出るにはまだ体が起動していない。
だが、そこは遠野家当主。
覚悟を決めて掛け布団を払いのけ、寝間着に手を掛けた。

次の瞬間だった。





「秋葉!雪だぞ、雪!」





ばたーん、と派手な音を立てて秋葉の寝室に飛び込んできたのは、
これまたやっぱり遠野志貴だった。

固まる秋葉。

そうなっても仕方がない。
寒くても寝間着を脱がねば服は着れず、秋葉は就寝時にブラを付けるほど大きくはない。
…胸が。

つまるところ、秋葉は下の下着一つで、今正にさぁ上をつけようかといったところだったのだ。

固まる志貴。

そうなっても仕方がない。
寒くても珍しく早起きして雪を見たら居ても立っても居られず、秋葉を襲撃しに来た。
…寝起きの。

つまるところ、志貴は早起きしたことで秋葉を驚かせようとしていたのだ。


視線を下げる。
中でも眼を引くのが白い肌に浮かぶ薄紅色の突起。
逆に言えば、平坦で突出しているのがそこだけ。

志貴は思う。
八年前、彼が秋葉の手を引いて広い庭を駆け回っていたころ。
何を間違えてしまったのか、それとも自身が間違えてしまったのか。
あんなにあどけなかった秋葉は、今では立派なお嬢様。
それなのに、それなのに、胸だけは成長していないのだ。
志貴は運命を呪った、そしてこれからも何故の二文字で永遠に呪うだろう。

「あ、俺は気にしないから…じゃ、俺はこれで」

「…!」

言葉が緊張の糸を無残に引きちぎった。









「にいぃいいいいいいいいいいいいいさああああああああああああああんんんんん!!!」









遠野家の朝は、今日も騒がしく始まる。















一方で、秋葉のベッドの中央辺り。
もそもそ、と大きな皺かと思われたシーツの波が蠢く。
大きく波打っていた局部から、つながる真ん丸がゆったりと動き出し、 ついには掛け布団から黒い塊が這い出てきた。
その黒い塊は整った毛並みと艶のある黒毛をもつ、どこか品のある猫だった。
この屋敷の長男にレンと呼ばれるその猫は、掛け布団から顔だけ出して欠伸を洩らした。

昨晩一人ブランデーを嗜んでいた秋葉に遭遇したレンは、 上機嫌の秋葉に捕まえられて、差し出されたブランデーをちびちびと、 それから段々と量をこなしていった、と記憶がある。
侮るなかれ、黒猫。
それから良い気分で床についたはいいものの、その床が本来の主人志貴のものではなく、 秋葉のものだったとは、昨日の時点でレンは気づきもしなかった。
兄妹ならんで寝相が良く、レンは安心して脇の下に潜り込める。
特に、此処最近は寒かったので彼女には人肌が恋しい季節だ。

雌故、彼女を彼女と呼ぶには事足りるであろう。

昔は人肌など必要なかったのに、今は無いと不安になる。
一日に一度は主人に触れておかないと落ち着かないのが彼女の悩みの種だった。

ガチャリ、と、ドアが開く。

「秋葉様ー、どうなされましたー?」

現れたのは割烹着の女性。
部屋中を一瞥して目的の人物が居ないことを確かめ、ふと、レンと眼が合った。

割烹着の女性の名は琥珀。

会うたびに自身を捕まえようとするので、レンは多少なりとも警戒していた。
例に洩れず、琥珀は今朝もレンと眼が合った瞬間キラリンと擬音がつきそうなくらい眼を輝かせた。
びくっと震えるレン。それが合図になった。

「あはー、待て〜♪」

鳴くレンなどお構い無しに迫る割烹着の悪魔。
レンもレンでベッドの下へもぐり、追っ手の手が入ったところでするりと駆け抜けて、 開け放されたドアから一目散に駆け出した。










遠野家の朝は、やっぱり騒がしく始まる。















「どうかしたのですか、翡翠?」

今しがたロビーに下りてきたシオンは、先ほどから立て続けに起きている騒音に顔を顰めながら問うた。

「志貴様と秋葉様、レン様と姉さんが戯れているようです」

傍らに立つ翡翠も翡翠で、不機嫌そうな顔で端的に返す。

彼女の不機嫌も最もで、元々自分が志貴を起こす役目を仰せ付かっていると言うのに、 今日ばかりは彼自身が早起きしてしまった。
実際早起きすることは良いのだが、彼女の日課ともなっている行為が一つ無くなるのは微妙な喪失だった。
加え、翡翠には密かな想いもある。
主人と従者、この場合主人は志貴であるが、明確な上下関係がある中の思慕はよろしくない。
けども、その主人が従者を女性としてみてくれているなら、 翡翠とて往時から続く一介の感情をもって当然だった。

「むー」と唸る翡翠。
後片付けの気苦労から来るものだろう。

「まぁ、いつものことですね」

珍しく、抑えきれない欠伸を諸手で隠してシオンは眠そうに食堂へ向かった。

「むー」

そして翡翠は、やはり唸っていた。









遠野家の朝は、今日も平和である。

























おまけ。


「ったぁ〜、何するのよシエル〜」

「窓から侵入しようとする貴女が悪いんです!」

「だって〜、ってアレ…、志貴がいない!?」

「なんですって!?」

「よし、早い者勝ち!」

「あ、待ちなさいアルクェイド!!」

黒鍵が飛び交ったり、地面がバターのように抉れていたりしても、 遠野家の朝は、やっぱり平和であった。















後書き

さて、移行期間終了です。
次からはちょいと遊び心をいれてみよう、な展開になるやも。

winter has come, but our life dose not change.
冬が来た、でも俺たちの生活は変わらない。

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