いつの間にか店内の客も減り、小さい窓から覗く外界の卵黄のような太陽も地平線に落ちまいと頑張っている。
茜色と長く伸びた宵色に染まっていく街なみは暖かで、優しい風格を湛えていた。
段々と冬の足音が歩み寄ってきているのだろう、時折流れる風は冷たい。
けれども、朱と棚引く高く薄い雲は絶景だった。

ふらりと訪れて流れていく風のように、雲の流れは早く、水彩画の絵の具を散らしたが如き荘厳な情景。
眼を焼かない暖色の明かりもそれを温かい物として、冬の寒さをぼやかしていた。






「さて、シオンさん」


テーブルに置かれたものが全てなくなった頃、シエルは漸くと言った具合で口を開いた。
その顔は今まで甘味を味わっていた至福の顔ではなく、どこか鋭さを孕んだ表情。
だが、代行者のような冷徹な眼でもない。
核心を容赦なく突き抉る眼光に、窓の外を見上げていたシオンは緩慢な動作で振り返った。

対面には志貴と、彼にじゃれつくアルクェイドが居て、両者は少し変わったシエルの雰囲気に眼を向けた。











【シオンの苦難】

十二話「氷解融解瓦解理解」












活気が衰退してきた店内に見える姿は転々としていて、この落ち着いた喫茶店の雰囲気には酷く似合いだった。
微かな物悲しさと静けさが、洋風で薄暗い店内の明かりに払拭されている、それもまた暖かい。
ラジオやテレビなどという無粋な利器は形を潜め、聞こえるのはただ、空気の動く音とコーヒーメイカーの微かな水音のみ。
だというのに、この小奇麗な場所は何故か近しくない。
それというのは簡単で、内装にまで染み付いたコーヒーの匂いはどうも上品で、落ち着かなかった。

「なんでしょう?」

平然と受け流しながら、シオンは居住まいを直す。
シエルはその様子で少し苦笑すると、テーブルに視線を落とした。

「ええ、貴女のことについて、少し話しておきたいことがあります」

あくまでも重くならないように言うシエルに、シオンは軽く顔を顰める。

今でこそこうやって落ち着いて話をしてはいる。
けれども昨夏は、あわや命の取り合いまでいった間柄だ。
そんな彼女が自分に何を言うのか、皆目見当がつかない。
今回は外出時にも硬い形式を済ませ、後ろ指を差されることなど決してないというのに。

胸中思いを抱き、怪訝そうな顔をしながらも、シオンは続きを促した。

「穴倉の戒律については、十分身に染みて解っているとは思いますが。今回は少々厄介です」

浮き沈みする表情のシエルを見つつ、シオンは、やはり、と嘆息した。



アトラスの錬金術師とは、ロンドンの魔術師と比べかなり異なる。
その最も足る物は魔術であった。
彼らには、地理的な要因なのか魔術回路という物に困窮していた。
下手をすれば魔術発祥地の一般人以下という、半ば魔術師たる物がない状況だ。

魔術回路というのは、魔術師が魔術を使用する際に使われるジェネレーターに近い。
これが多ければ多いほど、強力な魔術を使うことが出来るが、殆どの人間は先天的に量が決められている。
故に、アトラスの者達は魔術式を知ろうともジェネレーターの出力不足で殆ど魔術を使うことができない。

よって、彼らは知識を追った。
シオンのもつ分割思考というものも、異なる思考を脳内に設けることにより人一人で膨大な思考を持つことが出来るものだ。
計算式展開で、彼らは魔術に対応する武装を作り上げる。
これが錬金術師といわれる所以である。

そのアトラスの錬金術師達には少々大儀な戒律があった。
彼らの巣窟、穴倉と呼ばれる各々の研究室より出たり、外部のものと情報交換をすることは禁忌なのだ。




「ええ、ですが今回はアトラス自体が敵というわけではありません」

自然とシオンの言葉尻にも力が篭る。
探るような目つきに気を悪くしたのか、シエルは溜息混じりに切り返した。

「でも、貴女には前科がある。だからですかね」

「どういうことですか?」

大きく深く息を落とすシエルに、シオンは暗い顔で問う。
同じく重苦しい表情で、シエルは憮然とした雰囲気を醸しながら唇を開いた。

「私に回ってきたんですよ、貴女の監視という名目の仕事が」

「…!」

呟かれた言葉に、シオンの顔が怒りに染まっていく。

シエルの言葉を聴く限り、アトラスはシオンを疑っているということになる。
今回は前回の教訓を元に、面倒な誓約書も手続きも済ませたというのに。
それでも懐疑を抱かれるというのは、シオンにとっては心外だった。

「余程心配なんでしょうね、貴女から情報が洩れるのは」

散々戒めを破った前科があるだけに何もいえないシオンは、悔しそうに唇をかんで眼を伏せる。
シエルはそんな彼女の顔を見て、一瞬だけ気まずそうに眉を顰めた。

「教会としても魔術協会に貸しを作りたいようですから」

「それで、貴女は私を見張るというわけですね」

キッと見据えてくるシオンの眼を軽く往なして、シエルはコロコロと笑った。

「まさか。私だってそんなことしたくないですから」

その笑顔ですっかり毒気を抜かれたらしく、シオンは背もたれに体を預けた。

唯でさえ、二十七祖の内の三つが消え、真祖が滞在している街である。
そちらに関心があるものにとってこれは由々しき事態なのだ。

言うなれば、二十七祖は吸血鬼のなかで最高ランクに位置する集まりで、
その力は一介の死徒などとは比較にならず、教会、魔術協会の上位者でも手を焼くほどの猛者の集まりでもある。
そして、消えた三つの内全てが、存在上の抹消が最も難しいとされていた者達であるが故に尚更だった。
僻地と言われ、関心の薄かった土地が一躍問題となったわけはこれだ。
二十七祖のうちの勢力争いにも大きく変動を来し、 教会はそちら専門のカード、埋葬機関の第七位弓のシエルに調査を押し付けているわけだ。

シエル本人としては面倒なことと思いつつ、身内で融通が利くので適任だったと考えている。

「タタリも滅したことですし、貴女には情報を交換する必要もないでしょう?」

「ええ、まぁ」

「私としては、貴女が再び此処に着たのか、といったほうが気になりますし」

含みのある顔でくすくすと笑うシエルに何を感じたのか、シオンは体を捩って拳一つ分横にずれた。
露骨に顔を顰めて、肩を吊り上げながら首をシエルから逃す。

シエルの眼は心にある含みを全て洗い出そうとせんばかりで、シオンは戦々恐々としていた。

何のためにこんな辺鄙なところに来たのかと問われれば、シオンは閉口するしかない。
実際、アトラスに外出届をした内容は吸血鬼化防止の研究だ。
されど、此処に来た理由はそんな無粋なものではない。
厳重に鍵をかけた心の中にある理由は、ただ遠野志貴に会いたかっただけだ。

しかし目の前に居る彼は、彼の隣に居る真祖アルクェイドの寵愛を一手に受けている。
それは先の諍いをみても明らかである。そんな彼でも、彼女は好いてしまった。



シオンが大きな溜息を吐いて、これまた大きく肩を落とす。
ぞんざいな彼女の挙動に、アルクェイドは頬杖をつきながら顎を突き出した。

「志貴たちに、吸血鬼にならない方法の報告でしょ?」

「そうですか。まぁ、とにかく私の言いたかったことはそれだけです」

弁護するようなアルクェイドの言葉に満足したのか、シエルは席を立ちながら穏やかな音色を放った。

「遠野君に伝えてもらう予定だったんですけどね。でも手間が省けて丁度良かったのかもしれません」

「貴女に感謝を」

苦笑気味のシエルに軽く頭を下げるシオン。

「いいんですよ、お節介は遠野君から頂いたものですから」

口をついて出た自らの言葉に、シエルは満足そうに笑っていた。








***








「それじゃ、先輩、アルクェイド」

「うん、じゃーね、志貴」

「さようなら遠野君」

「…」

ようやく、日が落ちた。
宵闇色に色づいていく街並み、空に残る淡い紫。
霞のようにぼんやりとした空気の中、冬の足音は確実に近づいてきている。
身を切る、というほどまでには行かないが、ここ数日の冷え込みはかなり厳しい。
足元を見れば霜が降りているような、そんな季節。
直に秋が居なくなり、代わって冬が静々とやってくるのだろう。

人工の光に彩られていく建物たち。青白い半月。

地平線の形には朱色が残るも、それは決して弱弱しい物ではなかった。

「良かったね、シオン」

丁度アルクェイドとシエルの背中が雑踏の中へ紛れたかというところ、 志貴は傍らにいるシオンに語りかけるようにして呟いた。
紫の少女はええ、と一つ頷いて答える。
心持ち明るくなった顔は、佇んでいる上にある街灯のせいではないだろう。

見上げた空に幾ばくかの星が灯る。

シオンがそれにオリオンの線を結んだ時、突拍子もなく、志貴は首をかしげた。

「そういえば、シオンはどうして日本に?」

その声で、今まで夜空を見上げていたシオンは志貴に振り返った。

「報告、と、以前言いましたが?」

「あれ、そうだっけ?」

「そうですよ」

ムスっとした面を見せて頬を膨らませるシオン。
そんな不機嫌そうな表情とは裏腹に、自らをかき抱くような彼女の姿勢をみて、 志貴は思わず頬が持ち上がってしまうのを隠せなかった。

「な、何がおかしいのですかっ!?」

クツクツと喉の奥で笑いをこらえている志貴に、シオンが食いつく。
逆に志貴からすれば、シオンの挙動の不一致さには、ただただ笑うばかりだ。
普段は効率だの、生産的な行動だの、感情など全て排除して物事を行なうといっている彼女が、
今、こうやってエアメールでも済む言葉の報告に態々自らを僻地に赴かせている。
出会った頃は、まるで機械のような冷たい人間だったのに、今では、そう、歳相応の女の子ではないか。
再会してから日を挟み、漸くそんな些細なことに気がついた。
その変化が、志貴には堪らなく嬉しかった。

「いや、シオンも暖かくなったなぁ、ってさ」

「はぁ?」

シオンは、今ほどエーテライトを接続していないことが不便だと感じたことはないだろう。
意味不明な呟きをしながら、一人笑う志貴。
彼はいつも唐突で、現に今も彼女が眼を白黒させている間に己の外套をシオンに掛けてしまっている。

「でも、体は少し冷たいかな?」

「っ!」

脳が爆ぜるとさえ感じる科白を、彼はどうしてこう、簡単に言ってのけるのか。

「でも、意外」

ふと、志貴が呟く。
浮かべていた微笑も何処へやら、今度は別種の笑みが首を擡げてきている。
彼は少し含みのある笑いを見せながら、俯いてしまったシオンに言葉を投げた。

「勝手気ままに抜け出したり、自分も自分で解らないくらいの食い違いとかさ」

「?」

「結構、シオンもデタラメなんだね」

「なっ!?」










…デタラメ(出鱈目)
いい加減で、根拠のない様子。
博打の折の「さいをふって、出たらそれが自分の目」に由来する。














そのワードは、シオン・エルトナム・アトラシアにとっては禁句だということを、 遠野志貴は昨夏の教訓から完全に失念していた。
今まで穏やかだった彼女の顔が、見る見るうちに赤みを増していく。
それが羞恥から来る物ではなく、怒りから来るものだとは直にわかる。
彼女にとって論理理論を無視するなどということは愚かな事だ。
その愚かしい行いを己がするというならば、彼女は嫌悪するだろう。
普段から計算ずくの人生観を揺さぶってくれるそのワード。
柳眉を吊り上げたシオンは、烈火の勢いで振り向いた。

「デタラメ!?この私が出鱈目だというのですかっ!?」

見上げるシオンの顔は紅潮して、見下ろす志貴は一歩たじろいだ。

「貴方にそれを言われるとは心外だ、訂正してください志貴!」

咆哮一喝、がおぅと吼えるシオンの糾弾に、志貴はこめかみに汗を流しながらまた一歩引いた。
時折振り返り、情けない笑いを呈す顔。

「おっと、そろそろ帰らないとな!」

腕時計の針をみて、すちゃっ、と手を上げ、今度こそ志貴は反転して走り出した。

「あ、待ちなさい志貴っ!!」

彼はいつも唐突である。
こうして突っかかろうとするシオンの手をひらりとかわし、電光石火のロケットスタートだ。
対してシオンも負けては居ない。
最初こそ間誤付いていた物の、残りの一本坂を駆け抜けていく。
志貴は涼しげな顔で振り返り、走り出して落ちそうになった外套を慌てて抱くシオンに眼を向けた。

「屋敷まで競争だ、どっちが早くつけるかさ!」

「望むところですっ!」

ムキになってまた大きな加速を付けるシオンが滑稽で、志貴は笑い出してしまった。
そして、前からの風で捲れてしまうプリーツスカートを必死に押さえつけながら走る姿も微笑ましい。

「ひ、卑怯な、これでは圧倒的に不利ではないですかっ!」

そんなことを叫びながらも、猛然と走る事をやめないシオン。
やはりそんな姿に笑い出してしまう志貴。


結局、志貴の笑い声と二人のかけっこは、
門限オーバーにより待ち構えていた秋葉の一喝で幕を下ろした。
それなのに、お説教の最中でさえ含み笑いをしていた志貴に秋葉が怒って同じようなかけっこが始まったことは言うまでもない。











後書き

序章編、終了ー。
発展編、いってみよー。

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