機動戦艦ナデシコ

Princess of Darkness

ACT−#5.8 感じえぬこと












「アンタ…なんだかその服、傷んできてないかい?」


医療班長ならびに医務室主任、ムラカミ・マチコは医務室に入るや否や、開口一番にそういった。
マチコの言葉の矛先は、今、勉強を怠けてウトウトしている女性に向けられていた。
彼女の名はセレス・タイト。
今やナデシコで知らぬものはいないといわれるまで有名人であり、
密かに艦内女性人気投票では上位に入っている程の美人でもある。
一番の特徴は、桃色の髪。
その美人は頬杖をついて惰眠を貪っていたので、声をかけられた途端、
ガタンと派手な音を立てて机に頭を落とした。
マチコはセレスの相変わらずの様子に大仰な溜息を吐く。
過去何度もこういったことをするので驚いてはいたが、今ではもう慣れっこだ。
どうにもならないのか、ベッドで寝ろといっても直ったためしがない。
半分諦めた感が見て取れるマチコの溜息は、そんなに深刻そうではなかった。


「…ふぁい?」


「ふぁいじゃない、はい!だよ。」


「…はいはい。」


「はい、は一回でいい!」


毎度の説経も、暖簾に腕押しといったところか。


「で。なんでしょうか、主任。」


眠そうな眼をこすってセレスが立ち上がる。
そんな様子をみて、マチコはまた小言を言いそうになるが、本題を思い出して切りだした。


「アンタのその黒い服、大分傷んでるよ、」


マチコの眼は、セレスが羽織っている白衣の下に着ているアンダースーツに向けられていた。
そのアンダースーツは、所々に切り傷や擦り傷があって、大分ボロボロになっていた。
体にフィットする素材で出来ているようで、彼女が下着を着けない時は体のラインがくっきり浮き出る。
彼女は1週間後の給料日まで服が買えないらしく、今までも他のクルーの持つ衣服を譲ってもらったり、
親しくなった者から買ってもらったりしていた。
彼彼女の主張としては流石に女性だから、という理由で服も必要になる、とのこと。
だが、それが普通の服である確率は低かった。

ふと、マチコは気づいた。
セレスの制服姿を、今まで一度も見ていないのだ。
怪訝に思ったマチコは、声音をそのままにセレスに問うた。


「…そういや、制服はどうしたね?」


余程突飛な事を聞いたのか、セレスはキョトンとした顔で首をかしげた。


「制服…ですか、制服は…まだ貰ってませんね。」


「なんだいそりゃ?」


「いえ、私は寸法とかがわからないから、サイズを言うにもいえなくて。」


「はぁ…。」


マチコは呆れた顔で相槌をうつ。


「んーだったら、アタシが頼んどいてやるよ。生活班の頭にゃ顔が利くんだ。」


「頭(かしら)って…。」


苦笑いを浮かべたセレスは、自分の着ているアンダースーツを改めて見た。
元々過去の自分の体型に合わせて作られた服であるから、今となっては大分大きい。
大きめのアンダースーツは、出た胸と尻のお陰でいくらかは着る事が出来るものの、
腕などはどうしようもならない。
セレスの身長は160中盤。
しかし、「Prince of Darkness」だったころのセレスの身長は170超。
セレスが過去に戻ってきた際に感じていた違和感は体型にあった。
「Prince of Darkness」は、男性ということもあり、
敵と戦うために必要な力を得るために、必要な筋力をつけた。
だが、それでも、過去に戻ってきて確かめたところ、そんなに筋肉がないのだ。
これでは本当に女の子である。
加えて、身長差。
ゴートが一段と大きく感じられたり、ルリが小さく感じなくなったりするのだ。
元の身長より10センチ弱小さくなったセレスの体は、本当に女性だった。
過去は付いていた男の象徴でさえすっかりなくなって、
今は女性の象徴が付いてしまっている。
好奇心に駆られて眼をやっても、知る由もなかった不可思議な感覚と背徳感で手を止める。
昔の戦友の言葉を思い出し、その体が自分ひとりのものではないことを再確認して。


「ついでにその服も修繕してもらえばいいじゃないか。」


気の抜けた様子で熟考しているセレスに、マチコはそういった。
対するセレスも、不服なさそうに頷いた。

ナデシコには、様々な役職が存在する。
一見目立つのは戦艦だからという理由でのパイロットや、ブリッジクルー。
二つとも戦闘の際は大いに活躍するのだが、パイロットの場合、軍ではないので訓練などは自主に行う。
逆に、戦闘には参加しないものの、裏方として働くのがその他の班である。
整備班、医療班、生活班、清掃班と、それ以上にあるようだ。
各々の職務は細かく分類されており、民間企業にしては効率的な考え方だった。
裏方である彼らの仕事は、専ら艦内を良い状態で保つことだ。
それが掃除であり、補修であり様々な形で存在するが、趣旨は皆同じである。
セレスを含めた医療班の仕事は、クルーの健康管理や心理的安定を受け持つことにあった。
クルーの人数分事情があるわけで、その人たち一人一人のことを把握せねばならない。
戦闘とはまた違った忙しさがあるのが、裏方の仕事であった。
その中の1人でもあるセレスも、過去自分がどれほどの人の助けがあって戦っていたのかを思い知らされた。


「それじゃぁ午前の部はこれで終わりかね。飯でも食ってくるかぁ。」


時計を見て、マチコはだるそうにのたまい、医務室を後にした。
それに伴って、セレスも後に続く。

ムラカミ・マチコ…。
彼女の言葉だけ聴くと、随分所帯じみた中年主婦を想像しがちだが、
実際のところ、年齢は20代後半である。
気質は見たとおり、立派な「おばさん」だ。
容姿は美しさより親しみを覚えるほうが先で、体型もまだまだ若々しい。
セレスは、ふと疑問に思うことがあった。
なぜ、こんなにも面倒見が良く手際もいいのに、ナデシコに乗艦したのか。
それを問うと、彼女は笑って「面白そうだったから。」と言った。
ナデシコの乗員選定基準は「腕は一流」でも人格面は二の次。
その言葉と照らし合わせても、彼女の人格は腕と重ねて見て引けをとらない。
過去は選定基準を聞いて少々気が引けたが、現在ではそんなことはない。
結局民間企業のスカウトなのだから、乗員は皆下手な自尊心はない。
だからこそ、「ナデシコ」が作られるのだ。
セレスは乗艦の仕方が正式ではなかったため、阻まれるものかと思いきや、
クルーは皆分け隔てなく接してきてくれた。
その仲立をしてくれたのも、マチコやウリバタケ、ホウメイ達年配組だった。
ゆえに、彼らのお節介ながらも多少厳しい快活な性格に、セレスはいつも感謝していた。







丁度昼食時の食堂にて、セレスはいつもながら超満員のテーブルに嘆息をはいた。
ナデシコは勤務が昼夜二回交代制で、今の時間帯は昼班の人間が食事を取りに来る。
無論、パイロットは昼夜とわずなので大半は昼班だ。
入ったとき直にナポリタンスパゲティの食券を買ったが、今は彼女の手の中に納まっている。
大人数でごった返す食堂では、赤や黄色、青など色とりどりの制服が見られた。
その中で、赤い制服の眼鏡をかけた女性…ヒカルと眼が合った。


「あ、セレスさーん。」


無邪気に手を大きく振ってくるヒカル。


「…おす。」


片手をひょいと上げて、セレスはそれに答える。
そうしている間にも、いくらかの視線が集まってしまうので少し恥ずかしげに。


「こっちこっち!」


右手に持った箸はそのままで、おいでおいでー、と言わんばかりにヒカルは手をこまねいて来る。
安心したような、かつ呆れたような吐息をついてセレスはそちらの方向に足を進めた。

食堂には、何故か人物が座る座席が特定されている場所がある。
そこだけは、その人物がこないと誰も座らないような。
ヒエラルキーでもあるのか、それとも特等席なのか、はたまた、席は決められているのか。
どちらにせよ、セレスはそんな風に座席に定着したいと常々思っている。


「えっへへ〜、運が良いなぁ、今日はセレスさんと一緒だぁ。」


妙に嬉々とした顔で、ヒカルは自分の隣の席にセレスを招きいれた。
ストンと腰を下ろしたセレスは食券を手に持っていたことを思い出して、
ヒカルに食券を見せて言った。


「ちょっとこれ買ってくる。」


「は〜い、いってらっしゃ〜い。」


またもや大きく手を振って見送られる。
それをなんとなく恥ずかしく思いながらも、セレスは席を立った。
食堂のテーブルは間を広く取られている割に、全クルーの殆どを座らせることが出来る。
そういうことを考えると、やはり人員も計算されたものなのだろう。
収容スペースとしては全クルーを収容できるので、大きなイベント会場としても使用が可能だ。


「あ、サユリ、注文いいか?」


セレスは厨房に向かう途中、丁度通りかかったサユリを呼び止めた。


「はい、セレスさん。」


セレスの声に反応し、サユリが振り返る。
彼女は大分沢山の食器を運んでいる最中だった。
中にはラーメンなどもあり、手元を滑らせると不味い事になるのは請け合いだが、
サユリに限ってそれはない、というのがセレスの実直な感想だった。
ホウメイガールズの中でも落ち着いた彼女は身長も高く、リーダーとも言える存在であるからだ。


「ああ、手伝うか?途中まで一緒だし。」


「すいません、お願いしますぅ。」


一度テーブルにおいてから、セレスは半分を受け持った。
半分、といってもセレスの両手がふさがってしまうのだから、
相変わらず、セレスはサユリへの感心を禁じえない。
思えばナデシコの中で一番家庭的なのは彼女ではないか。
なんて失礼な考えが浮かんだというのは誰にもいえない、特に女性には。


「ん、そろそろだ。」


「そうですね、ちょっと残念。」


「え?最後のほうが聞こえなかった。」


「なんでもないですよ。」


厨房が近づき、セレスは返却棚に食器を置いた。
次にサユリもそれに習い、同じように食器を置いた。
職業柄、制服が汚れてしまうコックのサユリの制服には、大分滲みが目立つ。
サユリの制服に見入っていたセレスは、思い出したようにサユリに食券を見せた。


「はい、食券。」


「はぁい。ありがとうございました〜!」


深々と礼をして、サユリは恭しくセレスの手をとる。
セレスは頭上に疑問符を浮かべながらも、嬉しそうに笑うサユリの頭を撫でてやった。


「仕事、がんばれよ。」


「はいっ!」


溌剌と返してくるサユリにほほえましい物を感じ、セレスは我知らず微笑んでいた。








「おっそ〜い。」


「すまんすまん。」


リスのように頬を膨らませるヒカルに、セレスは悪びれずに言った。
ヒカルはそんなセレスの様子を見て、さらに唸る。
彼女が食べていた鍋焼きうどんの容器は、既に空で汁すらない。
時間にして数分も経っていなかったはずだが、食べている最中のヒカルにしては、
それで十分だったのだろう。
客足も大分減り続けている中で、食事を黙々とするのは寂しかったのか。


「悪かった。すまない。」


セレスが頭を下げると、ヒカルは慌てて立ち上がった。


「ああ、そんなんじゃなくて…。」


何故か申し訳なさそうにセレスを抑えるヒカル。


「何はどうあれ、誘ってくれた人を待たせてしまった。許されて良いとは思っていないさ。」


「だからぁ、私怒ってないってば。」


「そうなのか…?なら良いが…そうだ、何か奢ろう。」


頭を上げたセレスがそういうと、ヒカルはことさらに驚いた様子で眼を見開いた。


「えぇ!?いいよぉ…」


「給料は今週中に入る。換金したし、多少のものなら大丈夫だから遠慮するな。」


「うぅう…」


「迷って選べないんだったら私が買ってきてやる。」


セレス持ち前の頑固さが発揮されているのか、彼女はヒカルの言葉を聞かずに食券売り場へ走っていった。

忙しなく駆け出していった彼女と入れ違いに、ヒカルの元にマチコがやってきた。
マチコは椅子を増やしてどっかりと腰を落とした後、ヒカルに顔を向けた。


「悪いね、あの娘も悪気があるわけじゃないんだ。」


一部始終を聞いていたらしく、マチコはヒカルに告げる。


「え、ああ、いえ、なんというか…」


対するヒカルは、言葉を濁して言葉にならない呟きを繰り返した。

食券販売機にマネーカードを差し込むセレスを、二人は同じような顔つきで眺めていた。
セレスは相手が良くても、自分の気が済まなければ行動をやめないきらいがある。
変に潔いというか、分別をつけすぎているというか、簡潔に言うと頑固だ。
それが妙に不釣合いで、違和感を覚える前に頭を抱えてしまうのだ。
例え、彼女に悪気がなくとも、彼女はそれを大問題にするようで、
そんな姿は礼儀正しいというよりも、嫌われることを恐れているかのように映ってしまう。


「律儀っつーのか、まぁ、悪い奴じゃぁないんだけどねぇ。」


「あはは、それはわかりますよ。ちょっと真面目過ぎって感じですもんね。」


苦笑交じりの声を聞き、マチコも同じようにして笑い返した。


「そうそう、同じ釜の飯食ってるんだから、もう少し関わりをもっていいと思うんだけどな。」


だが、彼女の放った言葉は尾に向かう程、翳りを帯びてきていた。
俯いて溜息を吐くマチコを怪訝そうに見つめるヒカルにマチコは苦笑して立ち上がり、
ヒカルの背中を強く叩いた。


「あいたたた…!」


「仲良くしてやってくれよな。ああいう奴には悪ふざけが過ぎる位が丁度いいんだから。」


最後にニッコリ笑うと、マチコはその足で食堂を後にした。

その後、申し合わせたようにセレスが戻ってきた。
彼女は右手にチョコレートパフェを持っていた。
マチコの姿を眼で追うと、気に留める様子もなしにテーブルに容器を置く。
それから彼女も椅子につくと、スプーンをヒカルの前において、
容器をヒカルの前に押した。


「チョコレートパフェ。」


どこか眼を背けていた感があったヒカルに対して、セレスは笑って言った。


「好きだろ?こういうの。」


しかし、ヒカルはそういわれても気まずそうに口を開かない。


「嫌いか?」


ヒカルは首を左右に振る。


「じゃあどうして?」


合点がいかない、といった表情で問うセレスに、ヒカルは小さく笑って言った。


「こんなに沢山、鍋焼きうどん食べなきゃ良かったな…」


そうヒカルが言うと、セレスははっとして視線を沈ませた。
ヒカルはそんなセレスの様子を見て言い募る。


「だから、一緒に食べよ?」


「…え…?」


ヒカルが器を真ん中に持っていき、彼女は上部のソフトクリームをすくう。
バニラエッセンスの混じったアイスとチョコレートのアイスの割合は半々で、
曳かれたチョコレートのラインがぱりぱりと割れていった。


「ん〜♪おいし♪」


無邪気に頬張るヒカルの顔は喜色満面。
だが、それを見るセレスの顔は怪訝な顔。
そんなセレスの顔に気づいたらしく、ヒカルは和やかに笑った。


「セレスさんも、あーんして??」


「え、ええ!?」


差し出されたスプーンを見て、セレスは困惑の声を禁じえなかった。
彼女の中では、単純な計算のためにいくつもの式が展開されていた。

ヒカルはセレスの前に自分の使ったスプーンを差し出している。
プラスあーん、して、イコール口を開けろということで。

セレスの暗算が桁を変えようとしたとき、彼女は自らの顔が火照るのを感じていた。


「ほら、あーん。」


子供でもあやすような顔と口調で、ヒカルはスプーンを進めてくる。
硬化してしまったセレスは、汗を流しながら赤面することしか出来なかった。
ヒカルの眼鏡越しの優しい瞳がセレスを一心に見つめ、母親のような顔で詰め寄ってくる。
セレスは、その姿が、誰かに重なった気がして。顔を背けた。

丁度その時、パタパタと忙しい足音と共に声が聞こえてきた。


「いっただっきま〜っす!」


声の主は、声を出した口を大きく開けて、ヒカルの差し出したアイスを口の中に閉じ込めた。
唖然とする二人を尻目に、行き成り割り込んで来た女性はおいしそうに目じりを緩ませる。


「ん〜♪」


その女性の制服の色は生活班。
茶色がかかった黒い髪と、小さな鼻とあまり姦しいとは思えない口。
それとパッチリした二重を持つ童顔の顔が眼を引く。
背丈は150後半で、小柄で可愛い印象を受ける。
しかし、その容姿に似合わずスプーンを加えたままでうっとりとした溜息をついていた。


「ちょ、ちょっと?」


スプーンを持っていかれた手を遊ばせながら、ヒカルは半ば呆然とした面持ちで呟いた。


「ここの食堂は何でも美味しいから嬉しいよねぇ。」


女性はスプーンを加えたまま語り始める。

確かに、ナデシコ食堂の料理は美味い。
それはコックであるホウメイとホウメイガールズの腕が良いからである。
やはり選定基準の「腕は一流」。
そこらの喫茶店、レストランとは比べ物にならないほど美味なメニュー。
だからこそ、食堂で昼食を食べる人間が多いのだ。
それは熟知しているセレスとヒカルだったが、眼の前に居る女性には流石に奇異の視線を向けた。
そして、しばらくしてヒカルが口を開く。


「いや、だからそのパフェ。」


「あー、これ?これはねぇ…、そこのピンク。」


女性は未だスプーンを咥えたまま、ビシっとセレスを指差した。
対象であるセレスは、それが自分のことだとは思っていなかったのか、
ポカンとした後、呆れた顔で首をかしげた。


「アンタだよアンタ。」


女性は腰をかがめてセレスを見る。


「マチちゃんから制服仕立ててくれってコチトラ言われてる。
 これはその御代ってことで。」


「セレスさん、そういえば制服なかったもんね。」


手を打ってセレスを見るヒカル。


「御題って、そんなのでも良いのか?」


ふとセレスは、パフェを無遠慮に頬張っていく女性に問うた。
高々500円足らずのデザートで制服を仕立ててくれるというのは有難い話だが、
セレスにとっては、ヒカルに奢ったパフェでそれを払うというのが気がかりだった様である。


「モゴモゴ…いーんや、本当はマネーでなんだけど、まぁ、特別って奴さ。」


「特別…か。」


呆れた…。と言わんばかりにセレスが溜息を吐いたその時、
先ほど注文したスパゲティを抱えたサユリが歩み寄ってきた。


「はい、ナポリタンスパゲティお待ちどう様です。」


「ん、ああ。ありがとう。」


セレスが注文の品を受け取ると、サユリは微笑して戻っていった。
その様子を見ていたヒカルが口を開く。


「でも、いいなぁセレスさん。」


羨ましそうに呟いたヒカルに、セレスは曖昧な笑みを返した。


「スパが?」


聞き返すセレスの顔に、ヒカルはまた微笑む。


「さっさと食べる。採寸しなきゃなんないんだから。」


突発的に、いつの間にか空になったパフェの容器にスプーンを投げ入れて、女性は言った。
癪に障る物言いではあるが、立場からして頼むのは自身だったのでセレスは急いた。







「ごちそうさま。」


「…遅い。」


セレスが食べ終わると、女性は苛苛した様子で唸った。


「あぅ…ごめんなさい。」


「解れば良し。」


その問答に釈然としない物を感じるセレスだったが、やはり立場を弁えて自重した。
トレイの上にパフェの容器とスパゲティの皿を載せ、セレスは駆け足で厨房に向かう。
返却棚にトレイを置いて小走りで駆け戻ってきた後、彼女はヒカルに言った。


「ごめんな、なんだか付き合わせたみたいで。」


すると、ヒカルはセレスの考えた顔とは違う表情を浮かべていた。
セレスの頭の中では、ヒカルを待たせてしまったことに対する思いもあったが、
ヒカルの中ではそれほどでもないようで、ヒカルは朗らかに笑いかけた。


「気にしなくて良いよ。そうだ、今度一緒にご飯食べようね。」


「ああ、わかった。」


あくまでも優しく接してくれるヒカルに、セレスは済まなく思う気持ちはありつつも、
心の底から感謝していた。
そのまま、ヒカルはセレスたちに手を振って食堂を後にした。
ヒカルが見えなくなると、セレスの目の前に居た女性が立ち上がる。


「さ、行こう。」


スタスタと歩き出す女性。
セレスは慌てて立ち上がり、その女性の後に続いた。


「行くって何処へ?」


セレスが不思議そうに聞くと、女性は振り向いてニヤリと笑った。









無言で廊下を行き、片手で数えられるくらいの角を曲がり、
エレベーターで階を移動し、セレス達は歩いていた。


「そういや、ピンク。アンタ名前はなんてんだ?」


突発的に、女性が尋ねた。
今まで沈黙を貫いていたセレスは一瞬呆けたが、気を取り直して息を吸い込む。


「私はセレス・タイト、貴方は?」


年上の者に対する言葉遣いで、今度はセレスが尋ねた。


「ん、あたし?アタシはマツヤ・カナミ、25歳、独身、血液型はB。」


カナミ…と名乗った女性はフランクに答える。
食堂でのやり取りでは刺々しさが言葉に混ざっていたが、
こちらのほうが元の性質なのだろう。


「では、カナミさん。」


「カナちゃんでいいよ。」


「…カナちゃん。」


「あいよ〜。」


容姿を考えると十分合いそうな愛称ではあった。
しかし、そういわれてはしゃぐというのはいかがな物か。


「マチコさんから頼まれた…ということは、貴方が生活班の班長ですか?」


「おーおー、そうそう。」


生活班長。
クルーの生活を管理する生活班の中では最も地位が高く、
様々な班長で構成される班総会にも出席するくらい、偉い役職である。
そんな偉い職の人間が、こんなに若いとは思っていなかったセレスは、失礼を知って尋ねていた。
艦長ミスマル・ユリカ、医療班長ムラカミ・マチコ、整備班長ウリバタケ・セイヤ、
錚々たる顔ぶれ…にしては皆性格が朗らかなのだから、カナミもそうなのか。
しかし、セレスはその偏見を捨てた。
役職に捕らわれて本質を見失ってしまうことがあれば、それは愚行だ。
ゆっくりと本質を見極めていけばいい、と構え、セレスは続けた。


「これから私の体を?」


「カラダって…アンタ…」


セレスの抽象的な物言いに、カナミは額に汗を流す。
これではカナミがセレスの服を脱がせることが強調されて、
寸法を測ることが何処かへと忘れ去られているような物だ。


「っと、ここだよ。」


苦笑いを切り替えて、カナミは衣服や生活の際に使うシーツ置き場兼被服室の前に立ち止まった。


「此処は?」


過去一度も訪れたことがなかったセレスは、顔をカナミに向けて問うた。


「…被服室、別名…私の秘密基地さ。」


すると、問われたカナミは面倒くさそうに返した。









二人が部屋に入ったとき、被服室は暗かった。
影が薄く延び、人の形に切り取られている。
ふわりと薫る布の匂い、それと、清清しい香水の匂い。
セレスは、その匂いがカナミの匂いだと気づくまで時間を必要としなかった。
甘ったるくない、あっさりした少量の柑橘系の香水の匂いだ。

何度かの点滅の後、被服室の電気照明が灯る。

一瞬の暗闇になれた瞳孔が収縮し、フラッシュを焚いたかのごとくに白い残光が尾を引いた。
顔を顰め、眼を瞬かせたセレスだったが、ずんずんと進んでいくカナミに遅れまいと付いていく。
途中で改めて被服室の中を見回すと、意外と広いことに気が付いた。
戦闘の振動を考慮して、棚の類は全て天井とつながっていて、
その中に入れてある物も、滑りでないように強化ガラスで仕切られている。
大きさとしてはセレスの寝泊りしているルリの部屋の二倍くらいか。
整然と並べられているシーツの山。
こういったものを見ると、やはり裏方としての仕事も大変なのだと思い知らされる。
少し歩いて、二人はドアの前で立ち止まった。
セレスが覗き込んでみると、そこには『班長室』と描かれた札が下がっている。


「いいかい?マチちゃんの頼みだから特別ここに入れるけど。」


クルリと振り返り、真剣な顔つきでセレスの顔を見るカナミ。


「中の事は他言無用、そして中の物には無闇に触らない、いいね?」


なんとなく、班長らしい口調にセレスは自然とうなずいていた。
生活班長としての片鱗を見せた彼女は、それからドアに手をかけた。

やはり、照明は付いていなかった。

もう慣れているらしく、カナミは暗闇に入り込み照明のスイッチを押す。
先ほどと同じく、白光の点滅後、生活班長室に光がさした。






「…ぁ…」






人工的な光が部屋を彩る中、セレスが、感動の響きを持つ吐息をはいた。
それは同時に、今まで『セレス』でいることで隠していた、
自分の感情を吐露させるようなものでもあった。

彼女が眼を奪われている物。
それは、部屋の中央に置かれたマネキンが着ている作りかけのドレスだった。
その空間だけ、雑然としている机とは違い、整然としているのだ。
白をベースにした布地で、まだまだ完成には程遠いが…そのドレスは、美しかった。
豪奢な装飾はまだ着けられてはいないが、それでも純白のそれは未完成の美しさすら持つ。

大分昔、セレスも一度見たことがあった。
そのころは緊張して、自分の纏っていたタキシードの皺を気にしていたが、
白く輝いているように見えた者と、その人が纏っていたドレスは眼に焼き付けていた。
ドレスを纏っていた女性がブーケを投げる瞬間も、全て。

そう、素人目にもわかる、ウェディングドレスだった。


「ふぅ〜ん。」


言葉をなくしているセレスの傍らで、カナミはセレスを覗き込んで笑った。
だが、それにも気づかないのかセレスはドレスを一心に見続けていた。


「アンタ、いい奴だな。」


ぽつり、とカナミは呟いた。


「?」


首をかしげるセレスに向けて、カナミはニッコリ笑う。


「いやね、アンタの反応が、出会ったころのマチちゃんそっくりなんだよ。」


含み笑いに変わるカナミの笑顔に、セレスは問うた。


「そうなんですか…。あれは?」


「アタシ以外の誰かに捧げるプレゼントさぁ。」


照れくさそうに笑い、頬を朱に染めながらカナミは答えた。


「ホントはアタシ、服飾関係の仕事に就きたかったんだ…けど、大人の事情って奴でね。」


「大人の事情…ですか。」


「そう。」


「…深くは聞きませんが。」


「はは、そうしてくれるとありがたいね。」


セレスの言葉に乾いた笑みを浮かべながら、カナミはメジャーを取り出した。


「ほら、脱ぎな。」


カナミが促すと、セレスはハッとして、気まずそうに視線を下げたが、
やがてアンダースーツに手をかけた。
上半身のファスナーを下ろしたすぐに眼に入るのは、彼女の肌。
そして子供がつけるようなかざりっけのない白い下着。
セレスはそれを残し、下半身の上着を脱いだ。
その中にあったのも、これまた子供が穿くようなショーツ。
それには、ワンポイントとして小さなリボンがついている。


「いい体持ってるじゃないか。」


子供じみた白い下着に苦笑しつつも、
アンダースーツからは見えなかったセレスの肌の白さに驚くカナミ。
加えて、引き締まった体と胸。
カナミはそれを見て、自分の持つ物を想いうかべた。



25歳。
年齢的に言えば成長期は終わり、これからは下り坂の時期。
その真っ只中のカナミは、己の体を鑑みて、セレスをジト眼で睨んだ。
だが、当のセレスはそれに気づいた様子もなく突っ立ったまま。
突然、カナミはセレスを羨ましく思った。
艦内の男達が狂喜乱舞するのも頷ける気がする。
顔は文句なし、というより非の打ち所がない。
染み一つない肌は雪のように白く、唇は桜色。
女性にしては体脂肪が少ない体つきに、無駄のない筋肉。
かといってはしたないわけでもない。
太くも細くもない太股とその付け根。
芸能人でもモデルでも、彼女に匹敵する者は一握りくらいだろう。

カナミはセレスに歩み寄り、彼女のブラのフロントホックを外した。


「え、ちょっと!?」


セレスは慌ててそれを留める。


「サイズ測るのに服を着る阿呆がいるか?」


「…む。」


さも当然にいうカナミ。
彼女はむずがるセレスから下着を取るとポイと机に投げた。
それと同時にセレスが声を上げるが、気にしない。
顔を真っ赤にするセレスにカナミは笑い、改めて彼女の肌を見つめる。

――反則だろ…こりゃ。

カナミは、セレスが彼女の視線に気づいて胸を隠すまで、しばし目の前の芸術に見とれていた。





「手、退けな。」


花も恥らう乙女の仕草で乳房を手で覆うセレスに、カナミが声を発した。
やけににやけた調子で言うカナミに、普段厳格な顔をしているセレスは戸惑いがちに眼を伏せた。
もう耳まで真っ赤になっている彼女が受ける羞恥心は何なのか。


「ったく、服がぶっかぶかになるぞ?」


「むぅ。」


手際よくカナミがセレスの諸手を外すと、
そこには柔らかい二つの盛り上がりの上にそれぞれついている突起があった。
彼女の持つそれは、彼女の持つ唇と同じ色。
穢れのない淡い色を湛えるそれさえも、形が崩れずに完成している。
カナミは顔を紅潮させ、ぞんさいにメジャーを引き出した。

(ちっ、アタシにはソッチの気はないってのに…!)

自分自身を叱咤し、カナミはセレスの後ろに回った。


「うい、ばんざーい。」


声にしたがって、セレスが両手を挙げる。
桃色の髪が無造作にたらされた背姿に掛かる。
その妖艶な姿に、思わずカナミは息を飲み込んだ。







ぴた







「ひっ!」


突然齎された身の毛のよだつ感覚に、両手を挙げていたセレスは短い悲鳴を上げた。


「へぇ、84…6のC後半ってとこか?」


視線を下げると、カナミの細い手が自身の乳房をつかんでいる。
ニヤケ顔のカナミは、手から戻ってくる感覚を楽しんでいた。
マシュマロに近い手ごたえと、シルクのような肌触り。
それでいて均整を保った造形は、それをそのまま留めようとする力で指を押し返す。
知らず知らずのうちに、カナミは手を添えるだけだった手を動かしていた。


「ちょ、ちょっと!サイズの測り方が…違うっ!」


耳まで真っ赤に染めたセレスの抗議に耳を貸そうともせずに、
カナミは柔らかいソレを触っていた。
25歳の女性のささやかな逆襲である。
…なんとも愚かしいことかと思えるが。


「ははは、悪い悪い。」


やがて手を止めると、悪びれる様子もなしにメジャーを使ってセレスの胸囲、
アンダーとトップを測った。
そこから、カナミはやっと真面目になったのか、寡黙になり、真剣な面持ちで肩幅、脇下から腰骨。
そして股上、座高、身長、首周り、腕の太さ、腰周り。
その他諸々の大きさを丁寧に測っていった。

最初こそ不真面目に見えていたカナミの様子だったが、
時が経つにつれ、真剣さも面持ちも比べ物にならないほどに様変わりしてきていた。
これが、マツヤ・カナミの本性か。
セレスは、徐々に現れてきたカナミの本質を垣間見つつ、
彼女の指示を逐一聞いていった。

やはり、彼女は服飾に携わることが好きなのだろう。
生き生きとした表情で次々と手を動かし、メモ帳にサイズを記入していく。
子供のように純朴な顔で、あるいは至福の時の表情を見せるカナミに、
セレスは言い知れぬ思いを感じた。
彼女の頭にある語彙の中で、一番近い物を使うとすれば『羨望』であろうか。
何かに向かって一生懸命に事を行おうとする気持ち。
もしかしたら、それは人間の人生の中で最も尊い物ではないのだろうか。
輝いてさえ見えるカナミの姿に、セレスは1人そう感じていた。








メジャーを巻き取る音が止み、セレスが下着を着けたとき、カナミが思い出したように口を開いた。


「さっきは悪かったね、悪乗りしすぎたみたいだ。」


反省している様子は見えないが、声に出したということは欠片くらいは申し訳なく思っているのだろう。
短い間だったが、カナミのことを少しばかり理解したセレスは、彼女らしい…と苦笑して答えた。


「いえ、こっちもいろいろと苦労を掛けたから、おあいこ…ということで。」


ホックをかける手を休めずに、セレスはカナミの方へ頭を擡げる。
その対象であるカナミは、一瞬呆気に取られた顔をすると、
渋い顔を見せた後、溌剌とした笑みを見せた。


「こいつは一本取られたな、こりゃいいや!」


フロントホックを着け終わったセレスを見据え、カナミはセレスに言う。


「気に入ったよ。どうやらうまくやっていけそうじゃないか、アタシ等。」


「改めてそういわれると…」


カナミは部屋の隅に整然と並べられ、積み上げられているダンボールに向かい、
先ほどサイズを記入したメモを片手に睨めっこを開始した。


「ついでに黒い服も修繕するんだろ?」


「はい、宜しくお願いします。」


「堅苦しい奴だな、もうタメ口聞いてくれて良いんだよ?」


「…うーん。じゃぁ、宜しく。」


「うんうん、それでOKさ。」


並べられたダンボールの中からダンボールを二つ出し、
カナミはその中から赤い制服とスカート、それとストッキングを取り出した。
その後、彼女は包装に使われているビニールをとった後、それをセレスに差し出した。


「サイズはあってると思うけど。」


受け取ってから早速袖を通してみるセレス。


「…。」


若干の余裕はあるものの、丁度いいといえる範囲内だった。
上着を着終わった後、今度は同じようにしてストッキングを穿く。
後にスカートをつける。
これもまた、若干の余裕はあっても許容範囲内であった。
全ての服を身に纏ったその姿はまさに、ナデシコの制服姿だった。


「ばっちりだ。」


「あたりまえさ。」


セレスが言うとカナミが苦笑がちに付け足した。
そんな彼女を一瞥し、セレスは出口のほうに向かい途中で振り返り、言った。


「それでは、ありがとうございました。カナミさん。」


「カナちゃん、だろ?セレス。」


訂正を求める声。
だが、その声音は大分落ち着いた、優しい物だった。


「…ありがとう、カナちゃん。」


照れくさそうに言った言葉。
しかし、不快感はまったくない。
むしろ心地よいくらいのむず痒さ。
セレスはそんなものを感じながら、笑った。


「あいよ。」


対するカナミもニッコリと笑い、セレスに笑顔を返した。







被服室を出た時、セレスは布の匂い、それと少し甘い柑橘系の匂いの残り香を無意識に嗅いでいた。
香りを持つ真新しい赤い制服の首のファスナーを下げ、暖かくなった喉を開放する。
それから、歩き始めると、微かな風が肌を撫でた。
柔らかいその感触を楽しみながら、1人の通路で、セレスは微笑した。













あとがき



うわっ、同じネタを二回も使ってしまった(汗
まぁ、これはこれということで。

全体評価としてはE−ってところかな。
やはり俺は戦闘シーンとか、ギスギスしたところが描き易いようです。
まぁ、でも。
全体のバランスとしてはまぁまぁってところかな。
大きく乱れているところもないし。

外伝って何か意味あるの?と問うお方。
これは布石でもあり、弁解でもあり、伏線を解く手がかりでもあるのです。
本編書かないと駄目駄目なんですがね(苦笑


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