機動戦艦ナデシコ

Princess of darkness

ACT−#3.1「その決意、悟られることもなく」
















「…何とかやり過ごせたみたいだな。」


グラヴィティブラストによって太平洋上に巻き起こった波紋が静まっていく。
チューリップの残滓がボロボロと水面に落ちるが、広大な海はそれをも飲み込んだ。
広大な海は太陽の光を跳ね返して燦々と煌き、また、美しい白波は既にない。
そんな光景をゼロのコックピットで眺めていたセレスは、静かに無表情で呟いた。
過去、自分がエステバリスを操縦してガイと共に戦った記憶とは違う。
明らかな相違点。
今回は、ガイは医務室にて療養、アキトは空戦フレームで出撃。
だが、チューリップは撃破できた。
過程はどうあれ、結果は過去と同じ。
それでも、クロッカスとパンジーの乗員の命は消えた。
チューリップに吸い込まれて。

―――もっと早く出撃していれば…。

セレスの脳裏に複雑な思いがよぎる。
それでも、その思いという名の願いは一瞬で唾棄された。
たとえ早く出撃したとしても、
滞空時瞬間加速最高速度時速1240キローメートルを誇るゼロでさえ、
チューリップの吸引からは逃れられない。
そして、一歩間違えばセレス自身もチューリップに吸い込まれていたかもしれないのだ。
過去にボソンアウトしたとはいえ、自身の体について彼女は何も知らない。
もしかしたら自分の体は既にA級ジャンパーではないのかもしれないし、
そうだとしたら、いくらディストーションフィールドを張れるゼロでも、
ボソンジャンプに耐え切れるとは限らない。
思えば思うほど、苛々する憤りが…彼女を押し流していく。


「くそぉ…!」


悪態を吐いても命は戻らない。
簡単なことだ、彼女も自覚はしている。


「所詮…俺の力は…戻ってきたところで…こんなものか!」


誰も知る由はないだろう。
セレスがこの先の未来を左右できることを。
どこで、何をすれば、より多くの人が助かるのかを知っていることを。
ロールプレイングに紛れ込んだイレギュラーが、その先の結末を変えられる事を。
そして、それが出来ない歯がゆさを。


「はっ、なんて無様…!」


無力な自分をそう罵った後、帰投命令が出ていることに気づく。
セレスは、自分の顔を無表情という名の偽りで塗りつぶした。
しかし、彼女の心の中は自責の呵責で満ちていた。

―――舞い上がっていた…、自分は未来を変えられると…!

渦を巻く苛立ちが、紛れなかった。
その中で、IFSスフィアに手をかざして、セレスはゼロをナデシコに向けた。


「変えようとしなければ…何も変わらないんだ…。」


急に尻すぼみになった声で、セレスは呟く。
物悲しげな声、悲愴な吐息を二、三度出して、セレスは湿った声を叱咤した。
徐々に襲ってくる、疲労という名の枷に耐えながら。




メンテナンスベッドにゼロが進入し、作業アームがパーツを取り去っていく。
被弾の跡一つない漆黒のボディは、鋭く硬質的な光を返していた。
全体的に角のない、丸みを帯びたエステバリスとは違い、
ゼロの機体は、機能性と装甲を重視したために、人型ではあるが角ばったイメージを受ける。
無論、アタッチメントに都合が良いからでもあるが、
それ以外にも独特なアイセンサーを持つ頭部は、奇妙な…嘴の様なヘッドギアを装備していた。
頭部保護のため、メインセンサーの保護の意味合いもあるのだろうか。
だが、アイセンサーの上部が圧迫され、効率が悪いように見える。
機体下部を見渡すセンサーでもあるアイセンサーだが、突き出した胸部に遮られ、それ以下を見ることが出来ない。
その補助センサーである、股間部分の内臓バッテリーの上にあるサブセンサーというものがあるにはある。
それでも、瞬間加速についていけないときが多々あるのが現状の問題点だった。

これからナデシコは成層圏を抜け、宇宙に飛び出る予定だ。
地球を抜ける際の戦闘がないとも限らない。
整備班は大急ぎで機体の調整をしていた。
無論今回、負傷のため出撃できなかったヤマダ・ジロウの乗るものも同じだ。

アキトがアサルトピットから出てきたのを確認して、ウリバタケはゼロに眼をやった。
エステバリスより一回り大きいそれが鎮座するメンテナンスベッド。
その中にいるゼロは、動かない。
コックピットさえ開かないその様子は、まるで何者も拒む檻のよう。

不審に思ったウリバタケが首をかしげているとき、丁度アキトがウリバタケに並んだ。


「ったく、何やってんだぁ?あいつは。」


「寝てるんじゃないですか?」


アキトの言葉に、ウリバタケは笑い出しそうになるが、表情を崩すだけにとどまった。
それにしても、一向に開く気配を見せないキャノピー。
いい加減痺れを切らしたウリバタケは急かすようにアキトの肩を押した。


「ちょっと見て来い。」


「お、俺っすか?」


「他に誰がいるってんだ。さっさと行け。」


まさか失禁しているのでは?などと下劣な想像が脳裏に浮かぶウリバタケ。
だが、それならばナデシコ就航時のほうが余程辛かったはずである。
セレスの動きから見ても彼女はルーキーではないし、むしろ戦い慣れしていた。
そのような人間が今更そんなことするだろうか。
…ありえない。
ウリバタケは一笑の元に馬鹿げた考えを切り捨てた。

一方、アキトはメンテナンスベッドの足場からゼロの胸部に飛び乗った。

基本的にエステとは構造の違うゼロの胸部は、ジェネレーターの廃熱用も兼ねての放熱フィンが存在する。
これは、大出力化に伴うジェネレーター強化のせいで肥大した熱排出の効率を上げるためでもある。
重力波ビーム受信アンテナはエステとさほど変わらないものの、ジェネレーターがある分、
ゼロはエステより一回り大きいが、出力上昇、行動時間の増加が実現したのだ。
尤も、後者はゼロ自体が使用するエネルギーのために微々たる物だろうが。
その突き出た胸部をもつ真中に位置するコックピットは、少し特異な形をしている。
特筆すべきは二重のキャノピーだ。
これは気密を維持するためのものと、強度を増大させるものだ。
機体に底辺をくっつけた三角形の形をしているのだが、ここはコックピットブロックを強化するための形である。
エステのアサルトピットシステムとは違い、ゼロには着脱可能なアサルトピットが無い。
要するにはコックピットと機体一体型だ。
だからこそ、接着面とすり合わせを考慮する必要がなく、コックピットの形も卵型にしなくて良かったのだ。
さらに、ゼロのコックピットは通常のエステより一回り大きい。
大人二人が普通に入ってもまだ少し余裕があるくらいである。

アキトがゼロのコックピット上部によじ登った。
強制的にコックピットをこじ開けるパスコードをアキトは知らないので、
外から出来ることといったら呼びかけることぐらいであった。


「セレスさ〜ん。」


何度かノックしてみる。
が、返事はない。


「セレスさー…って、おわぁっ!」


再三呼びかけようとしたところ、急にカバーがスライドし、キャノピーが開いた。
コックピットカバーに跨っていたアキトは慣性の力で落ちそうになるが、何とか持ちこたえる。


「危ないじゃないっすか!」


セレスがコックピットから頭を出したとき、すかさずアキトが食って掛かった。
しかし、セレスは憔悴しきった面で、「…済まない。」とだけ呟くと、
力の入らない様子で、そこから這い上がった。
これにはアキトも萎縮した。
先の戦闘では獅子奮迅の活躍をしたというのに。
いや。だからこそこんなに疲れているのか。
アキトは自分にそう言い聞かせて、セレスを見上げた。


「どうしたんすか?元気ないですよ?」


「ああ、少し疲れたみたい…だ。」


ふらふらと覚束ない足取りで立ち上がるセレス。
誰が見ても口をそろえて危なっかしいというだろう。
だから、アキトも放っておくことは出来ず、ただセレスが足を滑らせないかと肝を冷やしていた。
二人が格納庫の床に足をつけると、ウリバタケが気だるそうに歩いてきているところだった。


「お疲れさん。」


ウリバタケが労いの言葉をかけてくる。


「どーもっす。」


謙遜するアキト。

彼がエステバリスという機動兵器の存在を知り、搭乗してこれで二回目。
ナデシコ就航時、先ほどの太平洋上の戦闘と、二回しか経験していないにもかかわらず、被弾率はほぼ0に近い。
いくらナノマシンによる直接のイメージ・フィードバックだとは言っても、
アキトの戦闘センスには眼を見張るものがあった。
しかし、そんな彼の力も、セレスの陰に隠れてしまいがちで目立っては居ないが、
特筆に価するだけのものを、アキトは持っていた。


「いやー、大分腕上げたんじゃねーか?テンカワ。」


「俺なんかまだまだっすよ。それに俺、コックだし。」


コック兼パイロット…。
他人が聞けば耳を疑うかもしれない職業だ。
尤も、成り行きからなってしまったのだから仕方ないのだろう。


「それとセレスも良くやったって、おいおい…」


ウリバタケに続いてアキトがセレスに視線を向けると、
セレスは時折頭を沈ませているところだった。


「疲れたか?」


ウリバタケが苦笑交じりに言う。


「…ああ、最近…寝られなかったからかも知れない。」


眼をこすりながらセレスは体勢を立て直した。
しかし、何故か彼女の言葉は何時にもまして素っ気無く、
苛立っているのか、話しかけて欲しくないとでも言うように、ウリバタケやアキトの眼を見なかった。
ウリバタケはセレスの様子に訝しげな顔をしてみたが、直に豪快な笑みを浮かべて彼女に言った。


「次の出撃まで時間あるだろ。その間に寝たほうが良いぞ?」


それでも、セレスは鬱陶しげな面持ちでウリバタケを睨んだ。


「…そうする。」


そのセレスの表情に思わず気後れするウリバタケとアキト。
だが、不機嫌そうな面を少し緩めてセレスは思い出したかのように口を開く。


「そういえば、着替え持ってないな…どうしよ…」


「「え゛…」」


何気なく呟いたセレスの言葉に、二人は硬直し、一瞬の間を置いて放った声が見事に重なった。


「着替えがない…って、そういやお前…ゼロだけもって乗ってきたんだもんな。」


憮然とするウリバタケであったが、当然といえばそうなる。


「ちょっと待ってろ、なんか買ってきてやる。」


ナデシコの中には、人件費削減のため日用雑貨や衣服は自動販売機で売られている。
ウリバタケはそれらを買おうと思い、最寄りの販売機へと向かった。
ゼロの調整をする時、セレスから色々と事情を聞いたウリバタケなら尚更。
困っている人を放っておけない性分なのか、でも、セレスにとってそれは有難かった。
セレスのサイフの中にあった現金も、それはそれは…東京〜大阪までの高速バス代以下。
マネーカードを新調したと言っても最初は0円からスタートだ。
カード内の金などあるはずもなく、換金作業すらしていなかった彼女の落ち度の結果だろう。
黒いアンダースーツを着込んでいる彼女。
つけているものはそれと今身につけている下着と、部屋においてあるバイザーとマント。
それだけだ。
とても女性だとは思えないが、セレスにしたら微妙なところだ。
無論寸法も測っていないのだから、ナデシコの制服もまだ作られていない。


「…ふむ。」


「セレスさんって、なんかアレですね。」


「…というか、裸で寝ても良いんだがな。」


「なっ!??!」


裸でシーツに包まるセレスを想像したのか、顔を真っ赤にするアキト。
…そこからの想像は、彼の想像力のなさがたたって進展していないが。


「…だってそうだろう、ランドリーに服ぶち込んで、寝ている間に乾けば問題ない。」


「……(滝汗)」


文字通り滝のような汗を流すアキトは未だ裸でシーツに包まるセレスを想像していたりする。


「でも、ルリと相部屋だからそんなことするわけにも行かないし。」


遠い眼をそのまま変えずに、セレスは続けた。


「…まぁ、いい。」


セレスが踵を返して格納庫を出ようとしたとき、時をあわせたようにウリバタケが紙袋を抱えて戻ってきた。


「ほらよ、サイズがわかんなかったから適当にデカイ奴にしといたぜ。」


「…助かる。」


突き出された紙袋をあくまで丁寧に受け取り、セレスはそのまま格納庫を後にした。

その黒い着衣に映える桃色の髪を持つ背姿に、儚げながら哀愁が漂っていたのは見間違いか、
それとも、表情に影が落ちていたのは照明の不行き届きが故か。
どちらにせよ、ウリバタケにはセレスの一挙一動が苛立ちを孕んでいるような気がしてならなかった。








「…上等だ。」


セレスの吐き捨てた言葉は、一体何に向けたのか。
自室に戻ったセレスは、紙袋の中身をばらしたあと、マントに手をかけた。
そして、神妙な顔で刀一振りを取り出す。
木目が美しく、白木がまっすぐに伸びた鞘、それに一際映える三つ編の紅糸。
何も変わらない、過去から持ってきた過去の遺物。
プロスに没収された銃器などとは違う、芸術性さえ漂わせる至高の刀剣。
抜き放った刃は微かな光を鈍く映し出し、波紋は限りなく直線に近い。
真っ黒い刀身の半身は、白銀を呈していた。
そりは殆ど曲がらずに、短刀をそのまま延長したかのごとく。
本来、死をあたえる為に創られたそれは、背徳から来る美しさを超越している。
一切の装飾が存在するわけでもないのに、絶対的な「美」があった。
その鞘を抜いた後、セレスは奇妙な表情を顔に湛える。
彼女の美麗な眼に刹那だけ、殺しの愉悦に満ち足りた様な物騒な光が映った。
だが、それも直にかき消され、空虚な瞳に摩り替わる。
室内に蔓延していた張り詰めた空気も、一瞬にして霧散し、
誰もいないときのような静けさが訪れた。
衣擦れの音一つしないその空間を表すならば、まるで「絵画」。
そこだけの時間を一瞬でもとめた世界。
セレスが、己の気配を空間に溶け込ませ、自らをその場の静物と化す。
その所業は、賞賛に値するだろう。
やがてセレスは薄っすらと、その切れ長の瞳を開いた。
それが、その世界が「絵画」ではないことを証明する唯一の事。


「…変えてやる、この世界を…!」


刀を鞘に収めると、小気味のいい音が部屋に響いた。
すると、セレス自身も緊張の糸を解す。
弛緩した表情は、先ほどのものとは少し異なっていた。






「そういえば、はんちょ〜、セレスさんの下着は何色っすか?」


下卑た笑みを浮かべる整備班のタカハシ・スグル。
格納庫でゼロの整備を続けていたウリバタケは、その声のした方向に顔をもたげる。


「はぁ?お前何言って……って!」


声と同じで、勢い良く振り返り、ウリバタケは「しまった!」と言わんばかりの顔で叫んだ。


「買うの忘れてたー!」


「じゃぁ、白で!」


「いや、黒だろ!」


「いやいやいや、ここは意外性を狙ってレモン色のレース!」


話を聞きつけた関係のない整備班の人間が、ぞろぞろと集まってくる。
必然の如く壮絶なディスカッションが展開され、色彩の絶叫が飛び交いはじめた。
仕事そっちのけで叫び始める男達を呆れた眼で見ながら、
ウリバタケは自動販売機へ足を向ける。
その最中で、彼が「薄いピンクだろ…」と呟いたことに気づいた者はいなかった。









「そういえば、久しぶりに抜いたな…」


セレスはウリバタケから受け取った衣類を身に纏いながら、
綺麗にたたんだマントの上にある刀を見据えた。
剣術の心得を持ったときは、ただ、自分の私怨を果たすためだけに使っていた。
その時は、ただの道具に過ぎなかった刀が、今ここにある。
無意識に手が過去の遺物に伸びたのは、
過去の自分「prince of darkness」を忘れないようにするための戒めだったのか。

――未練がましい愚か者の言い訳に過ぎない)。

セレスの中に、一抹の自嘲が浮かんだ。


「いや…違う。」


それは、認めたくなかった。
それを認めてしまうと、セレス自身、自分が一番忌み嫌う者になってしまう。
自分が、人の命を奪うことが出来るものに依存している等と。
自戒などと、綺麗な言葉で誤魔化そうとする自分が。


「俺は…奴とは違う。」


脳裏に凶悪な面を持った異端者が、醜悪な笑みを浮かべる。


「…違う!」


過去の自分が、それに重なった。
セレスが「奴」と呼んだ顔が、バイザーを掛けた成年の顔に挿げ変わる。
それが、苦しげに顔をゆがめ、痛みに耐えるように叫んだ。
やがて、それは劫火に焼かれ…


「違ぁぁうぅ!!」


甲高く、裏返った声を、セレスは初めて出した。
服を乱雑につかみ、引き裂かないかと思えるほどに乱す。
ウリバタケから受け取った、その175cmサイズで糊の利いたワイシャツのボタンが引きちぎられた。
閉じていたボタンが止めていたシャツから、彼女の女性の象徴が躍り出る。
透き通るような白い肌に、綺麗な桃白色の双頭。
逆に儚い印象さえ覚えてしまうほど、端整すぎる肌とそれ。
揉みしだいたことはない、揉みしだかれたこともない形のいいバストが揺れる。


『おーい、セレスー。』


「っ!?」


唐突に届いた声で、血の気が引くような感触と一緒に、セレスは我を取り戻した。

荒くなっていた息を整えず、彼女は弾かれたように入り口に行った。
自分の格好など意識せずに。


「誰?」


『おぅ、俺だ、ウリバタケだ。』


声の持ち主に怪訝な顔を向け、セレスは問う。


「何の用だ。」


『お前に渡した服…下着忘れてたんだよ、すまねぇ。』


「要らない。」


『要らないって、…はぁ、兎に角開けてくれ。』


「…。」


セレスは憮然とした面でドアのスライドスイッチを押した。


「俺が選りすぐった…って、何やってんだぁお前―――――――――!!!」


ウリバタケがドアを開けて、開口一番に叫んだ。
原因は、セレスが裸の上にワイシャツを羽織っていたからか、
それとも、今まさにナニを終えたばかりともいえる格好だからか。
チラチラと、何もきていないセレスの下半身ばかり見ているウリバタケ。


「別に。」


セレスは相変わらずしれっと言った。
それに、ウリバタケもいくらかいつもの調子を取り戻したのか、
平然としようとしている様子で口を開いた。


「ったく、おめーはよぉ、ナニ考えてんだか!」


ウリバタケはそっぽを向いて、ぶっきらぼうに紙袋を突きつける。
セレスは困惑の瞳でそれを見た後、渋々それを受け取った。










「何で…そんなに優しくしてくれるんだ?」









何の前触れもなく、セレスが言う。
彼女は、その言葉を作ってからはっとして、口を押さえた後、胸を押さえた。
その疑問は今まで、思っていたことだった。
ウリバタケは、乗艦当初から気を置かずに接してきてくれていた。
それは自分が女性だからなのか。
ウリバタケは女性に目がないから、自分もそれと同じだろう。
心の中ではそう感じていたが、接し方は過去と変わらないことに気づくまではそうかからなかった。


「そりゃーおめぇ、顔は良いし、胸はデカイし「本当のことが聞きたい」…」


飄々と切り替えしてきたウリバタケを鋭い視線と言葉で黙らせた後、セレスは言葉を待った。
いい意味で期待を裏切ってくれる言葉を。
睨まれているウリバタケは一瞬だけ気後れするが、
それでも、年の功か、眼つきを厳しくして視線を落とした。


「…こっぱずかしい話だけどよ。」


頬をかきながら、ウリバタケは続ける。


「お前が初めてナデシコに乗ってきたとき、なんだかすっげぇ嬉しそうな面してた。」


無言のまま、一心に聞き入るセレス。


「だけどよ、さっき戦い終わって帰ってきたときには、すっげぇ寂しそうな顔だったんだよ。」


「寂しそう?」


セレスは鼻で笑いながら聞き返す。


「マジだぜ、お前は気づいてないみてぇだけどな。」


同じように、ウリバタケも笑い返した。


「俺にもガキがいるからわかるけどよ、人間寂しいときにはそういう顔するんだよなぁっ…てな。」


「わかったような口をきくな、それに私はもうガキじゃない!」


セレスは激昂した。
そして、つかみ掛からんばかりの勢いで食って掛かり、語気を荒げた。
荒い息をするセレス。彼女は過去でもこんなにもウリバタケに近づいたことはない。
刹那、普段飄々としているウリバタケの眼が鋭くなった。


「…じゃぁなんでお前はそんなツラぁしてんだよ。」


「!」


眼鏡の奥に光る眼は、セレスの豹変した顔を見ると、直に何時も通りに戻った。
驚愕に震え、怯えるセレス。


「ほら、人ってなぁ意外と自分のことを知らねえもんだろ。」


「…ふん。」


踵を返して自室に戻ろうとするセレスをウリバタケは引き止めた。


「まぁ、待て。」


握られた腕にかかる力は、強かった。
そして、それと同時に暖かさも伝わってくる。
それに気圧されて、セレスは自然と黙ってしまった。


「俺が言いたいのはよ、寂しいなら寂しい、嬉しいなら嬉しいってことに素直になれってことだよ。」


「何を今更、さっきも言っただろう。私はもう「ガキじゃない」と。」


「素直になるってことがガキ臭いことか?」


「そんな屁理屈…!」


「ほら、また悔しそうな顔してるぜ?」


「くっ!」


やはり30年以上生きているウリバタケは、24年そこらのセレスとは違う。
薄ら笑いさえ浮かべて、ウリバタケはセレスに言葉を並べ立てた。


「それに…ほっとけねーんだよ。お前みたいな奴ぁ。」


「?」


「人のことワザと避けようとしてる奴がな。」


悪戯っぽい笑みを呈するウリバタケに、セレスは何か言おうとしたが、言いかけて止める。
それから大きな溜息を吐き出した後、視線を流してウリバタケに言った。






「…努力はしてみる…素直になれるように。」


セレスは、振り返った。
今までクルーに対してどのように接してきたかを。

セレスはナデシコに乗って短い期間であるが、どこかクルーとの間に壁を作っていたのかもしれない。
顔見知りの者達が視界に入るたびに、声をかけようかと逡巡し、それでも、出来なかったときの寂しい顔。
それを、ウリバタケは見抜いていたのだ。
元々、ネルガルに選定された乗員ではないセレスを、彼は、それほどまでに自分を心配してくれていたのだ。
『ナデシコ』にうまく、そして素直に溶け込めずにいたギクシャクしがちなセレスを、
飄々とした面で取り持ってくれていた。

そのことを思い返すと、セレスは彼に声を荒げた自分が恥ずかしく思えた。

―――まだまだ、ガキだな。俺も。

心の中で自虐的な思いが交錯する。


「おぅ、がんばってみろ。」


だが、そんな彼女の心中を知らずにウリバタケは笑いながら言った。


「困ったときがあったら、いつでも相談しろよ?」


「…ああ。」


セレスは、か細い声で返事をした。
瞬間、前兆もなしに、彼女は鼻の奥が詰まるような感覚に襲われた。
何か、いつの間にか忘れてしまってから久しい感覚が、五感より遅れて、急に戻ってきたかのように。
眼がカラカラに乾いているのか、瞬きをするたびに痛くなる。


「んじゃ、俺はいくぜ?」


些細な気遣い…だろうか、ウリバタケはさっと踵を返し、振り返らずに帰っていった。
セレスは、その背中を黙って見送るしか、できなかった。
彼女は自室に戻ると、鍵を閉めて衣服を纏いながらベッドまで歩いていく。
そこで、セレスはベッドに座り込むと自分の体を抱きすくめるようにして倒れた。





「ああ…そうか。」


幾分かが過ぎた後、静寂にセレスの声が紛れた。
その声は、予測を結論付けるものではなく、憶測を思い出す感に近い。
彼女は、安心したような嘆息をはいて天を仰いだ。
呼吸のリズムは微かながら崩れていて、唇は震えている。
それでも、セレスは笑っていた。
未だ不慣れな体を震わせながら、心底嬉しそうに、でも、静かに笑っていた。
儚い印象さえ受ける、その美貌が、今は一層美しい。
目頭から曳かれた涙の跡、それさえも気にならないくらいに。
そんな彼女は、続けて呟いた。


「嬉しいんだ、私は…。」


不釣合いな涙の跡と笑みを湛えて、彼女は微笑む。
そこから溢れ出る安堵と悦びは静かでも、彼女はただ、嬉しかった。


「ははっ、こんなに泣き虫だったかな?」


自分自身に向ける嘲笑。
しかし、その言葉とは裏腹に、嘲りの響きが発せられることはなかった。

―――こんなに、まっすぐな感動は今まで味わったことがなかったから。

じんわりと心を満たしていく歓喜が、涙となって溢れ出る。
彼女はシャツの裾で、その涙を拭う。

自分が此処に居て良いと、認められたのだから。
自分を心配してくれる人が居るのだから。

だから、悲しい未来など見せてはならない。
だから、守らなければならない。
だから、戦わなければならない。


しかし、それは悲しみを呼ぶのではないか?


戦い、傷つけば、悲しみは増える。
だが、彼女は、セレスはそれが少なくていいシナリオを知っているのだ。

―――変えて見せるさ、あんな未来なんて。

心の中で、小さくはき捨てた後。
彼女はしっかりとした声、曇りのない顔で、呟いた。












「ありがとう。」

と。



















どうやら、彼女が今までの闇を脱ぎ去り、本当の自分に戻れる日は…そう遠くはないようだ。

















あとがき(言い訳)

こにちわ。
しょうへいです。

今回はセレスの迷い、驕り、苦悩、隔たり、無力感。
クルーの暖かさ。
そんな感じのものを書いてみました。
無論4話についての弁解も含まれてはいますが。(苦笑)

なんかウリバタケ格好いいですな。
ああ、でもあのオッサン、オリエさん一筋っぽいから「ウリ×セレス」はないですな。
あ、補足。
オリエはウリバタケの妻です。
実は結構可愛い奥さんです。
あんな奥さん持ってるのに何でウリバタケはナデシコに乗ったんでしょうかねってくらい。
オフィシャルによると告白したのはセイヤさんのほうらしく。
でも、奥さんも満更ではないようで。
30超えても子作りしてるってことは相当らぶらぶ同士なようで。

閑話休題。

無意識にナデシコクルーとの間に壁を作ってしまった?セレスですが、
環境からか、次第にそれも薄れていくんですね。
でも、やっぱり過去を忘れられない自分がいて、
その原因の一つにラピスもいて、その戒めに桃色の髪はきらないわけです。

意識改革。

その言葉どおり、これからセレスはだんだんと昔のようにクルーに溶け込んでいきます。
それでも、やはり過去は捨てられない。
過去があるから縛られる、けど、それでも未来へと足を向けて、
眼を背けないから悩む、苦しむ。
普段頼りがいのある存在誰もが儚さと弱さを持っている。
そんなセレスさんをこれからも書いていきたいです。

追伸。

今回のアイディアを下さった方々へ。
本当にありがとうございました。
PODは多数の作者様が集まって書いている小説なので、
その分、作品にこめる意味合い、気合、願い…様々です。
そんな私達に案を下さる方々からいただいた案の中に、
「こんなセレスが見たい」とか
「セレスがこれからどうなるのかが楽しみだ」という感想も含まれており、
大変嬉しく思います。
これからも、末永く機動戦艦ナデシコPODを宜しくお願いいたします。


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