機動戦艦ナデシコ 

Princess Of Darkness

ACT−#11「黒」















光が飛び交う、火が爆ぜる。

無音の宇宙は彩りに満ちていた。
線が伸びて逆の線が帰ってくる。終わりなど到底無いように見えるその応酬は、その筋を徐々に減らしていた。

所以は、黄昏の鳥のように一纏りになっている二つの艦隊にあった。
それぞれ丁度正反対の位置にあり、その間には幾つもの筋が渡され、双方ともそれこそ雨の勢いで筋を生む。

第四次月攻略戦。
現在の戦場は月軌道上。地球連合軍は後方に地球を背負い、眼前に敵を望んでいる。
その戦はこれまでの戦い方とはまるで変わっていた。
これまでの地球側の戦法は、敵のディストーションフィールドを実弾兵器で無力化し、目標を破壊するというものであった。
故にハイリスクであるのに、リターンは少ないという絶対不利の条件だった。
しかし、今は違う。
決定的に違うのは、地球側の戦艦にディストーションフィールドとグラビティブラストがあるということである。

テクノロジーというアドバンテージの減少を使い、木星の軍隊を月面から駆逐するために、彼らは一斉に攻め寄せた。
相拮抗する戦いは次第に量の多い地球に傾き始めている。
だが、予断は許されない。敵には正体不明の艦載機搭載母艦チューリップがある。
チューリップの巨体から供給される兵器は、まさに底なし。
だからこそ、地球軍は数に物を言わせて一気に勝負をかけなければならなかった。

地球側の筆頭は、第二艦隊旗艦グラジオラス。
巡洋艦、駆逐艦クラスより一回り大きく、主砲も伴って巨大で、対空砲は素晴らしいとしか言いようが無い。
レーザー兵器、ビーム兵器を主に搭載していた設計とは少し違い、今ではかなりの砲門がハリネズミのように逆立っている。

地球側の戦艦は、ディストーションフィールドに対する手段として、光学兵器が無意味であるということを認知したようで、付け焼き刃の改修の後が良く見える。
時代の先進ともいえた光学兵器を破棄して、旧大戦のように薬莢が撒き散らされる戦線。
その甲斐があってか、彼らは今までに無い攻勢の優勢を保っていた。
遠距離に位置する戦艦にはグラビティブラストを、近距離にくる小さい虫には嵐のような弾幕を。

グラジオラスも例外なく、そう易々とは沈まずにいた。
ともすれば、あるのは恐怖より高揚である。




そのブリッジ。


「チューリップに重力波反応確認!」


「何っ!?」


計器がにわかに騒がしくなる理由は、誰もが最も恐れる事態が空想ではないことをクルーに実感させた。
モニターには、ふってわいたどよめきの様にアラートサインが忙しく明滅している。
それを視たオペレーターの報告に、サングラスの下の目を厳しく曲げたグラジオラスの艦長はぎりりと歯を強く噛み締めた。


「ヤンマサイズ以上の戦艦、来ます!」


ヤンマといえど、高出力砲を持つ厄介な相手だ。
全長はグラジオラスの半分にも満たないが、それでも侮ることは出来ない。
加えてそれ以上のサイズが大挙して押し寄せるとなれば、戦況は大きく傾いてしまう。
況してや小型兵器の量に物を言わせた戦法も難物で、現に艦隊の一割二割はそれで撃沈されてしまっていた。

増援…、アジアの重工企業の新型戦艦も音沙汰なく、結局信じられる戦力は連合軍のみ。


「来るなら来い…、いざとなればグラジオラスをぶつけるまでだ…!」


背水の陣に、艦長は自らに発破をかけた。

厳しい眼をむけるモニターの奥には黒光りする巨大な球根。
大きさは百メートル強、毒々しさを形にしたようなすぼまりは禍々しい。


「重力波、更に増大!」


「…!?」


オペレーターの声は切羽詰っていた。

烏合の艦隊の中心、大きな黒に亀裂が走ったかのように見えた。
亀裂には光が満ち、あたかもチューリップに閉じ込めていた光が洩れ始めたかのよう。

往々にして最悪の予想は現実になりえるのか。

これはチューリップから何かが現れるときに伴う現象だ。
大気も無いというのに周囲の空間が怱々とし始め、球根のすぼまりが開き始める。

本当に運が無い。と、第二艦隊筆頭旗艦グラジオラスの艦長は額の汗を拭った。
有事の地球防衛を叫んだ他の艦隊は地球に篭りっきり。
増援も期待できず、一方的に増え続ける敵を相手にせねばならない、ならばそれは嬲り殺しも良い所だ。
例え五対五になったところで、相手が増えるのならば勝ち目など無い。

背筋がぞっとした。

ぎりぎりと球根の先を押し広げながら、次々と姿を現してくるシルエット。
二つ突き出ている煤けた白が、黒を引き裂いて宇宙に生まれ出ようとしている。

宵闇色の艦隊には似ても似つかない、煤けていたとしても燦然と輝く白亜。


「まさか、あれは…」


通して見える宇宙を屈折させていたのは、楕円球形のディストーションフィールド。
その大きさは大凡球根の大きさにはあわないようだった。

小さい出口に、それ以上の物を通そうとすればどうなるか。


「ナデシコぉ!?」


無論、壊れるしかないのである。

無音で瓦解しながら、球根は白い戦艦を吐き出すことに耐え切れず、爆発した。
グラジオラスの艦長が驚愕したことはそれだけではなく、砕け散ったチューリップの残骸や、爆発の余波が周りの灰色を蹴散らしたことにもある。
泡のように広がった爆炎がしとどに咲き乱れ、黒い宇宙に鮮やかさを添えていた。
一番に眼を引くのは、爆発の紫陽花を背景にして現れた白の戦艦。

そして、グラジオラス艦長の裏返った声音の後に、艦は大きく揺れた。














鳴動。頭の中がきりきりと悲鳴を上げるような感覚に、思わずセレスは呻いていた。

それでも、不思議なこと体を蛇のように駆け回り、蹂躙の限りを尽くしていた痛みも熱さもない。
喉をせっついて来ていた吐き気も、体を舐っていた悪辣な悪寒も、既に無かったかのように消えている。
羽根のように軽くなった体を一しきり眺めると、ぼんやりとした頭に思考が流れた。

慣れ親しんだ機械の匂いと、うっすらと開いた眼に飛び込んでくる色とりどりの光の数々。
背中にあるのは、冷たくも硬くもないパイロットシート。無骨な、それでいて一人でいるには少々贅沢な場所。
急激な衝撃に耐えうる、付け方の荒いシートの感覚は忘れるはずも無い。
彼女のいる場所は、紛れも無くゼロのコックピットだった。

そこまで認識して、やっと頭が稼働し始めた。
コックピットが…否、ゼロを内包するナデシコが、揺れている。

それと自分を鑑みて、彼女は頭を抱えた。今、自分があられもない格好で落ち着いているのは、確かにゼロのコックピットだ。
でも、自分自身ここに来たという認識もなければ、記憶も無い。
それ以前に、いつ、自分が気を失ったのかすら、定かにはならない。

夢現の中で垣間見た夢幻の様子すら、今ではもう思い出せない。

まるで朝起きた時の夢だ。眼が覚めてしまえば、直に忘れてしまう、そんな儚い残滓。


「くそっ、肝心な時に…」


思い出せないものに苛立ちが募る。

自分の置かれている現状が全く把握できない。自身が前後不覚に陥ってしまってから何が起こったのか、今何が起こっているのか。
それを知らなければ、今はどうしようもない居心地の悪さに取り潰されてしまう。
妙なひっかかりを心の隅に押しやって、セレスはコミュニケに眼をやった。

それと同時に、眼の前に人の姿が浮かび上がる。


「…ルリ? どうした?」


通信ウィンドウにいたのは、恐らく艦橋にいると思われるホシノ・ルリ。
心持ち沈んだ顔で、少女は言いづらそうにためらったが、ついには口を開いた。


「あの、大丈夫ですか?」


「こっちは大丈夫だ。そっちの被害は?」


「そうじゃないです。ブリッジでアキトさんに…その」


益々口を重くするルリに、セレスは少し首をかしげた後、思い至った。

何かを忘れていると思っていた。
それは、アキトに頬を殴られたことではなかったか。
妙な引っかかりは拭えないが、アレからどうなったのか皆目見当がつかない。
しかし、把握できない現状、歯がゆい状況、湧き上がる問いを必死に整理して、先ずはすべきことを探すしかない。


「ああ、それか。タイミングを誤ったな、もう少し早く動ければ大丈夫だったんだが」


きっと、自身はあの後情けないことに失神してしまったのだろう。
領分を弁えない出過ぎた行いであったことは己が重々承知している。
それでも出ずにいられなかったのは、多分フクベに同情の念を禁じえなかったからかもしれない。
無様なところを見せたと思い、無理やりに繕った笑みを見せると、ルリは益々不機嫌と怪訝の混ざった顔になった。


「本当ですか…あんなことになったのに」


「だから大丈夫、心配要らないよ。アレは私がポカしただけだから、結局悪いのも私だ」


恐らくこの少女は、自分の体を心配してくれているのだ。
そうは言っても今の体はすこぶる健康、快調そのもの。ならば彼女の心配も、気苦労も杞憂という物だ。


「でも…」


「兎に角、状況を教えてくれ。このままじゃ何もしようが無い」


少々強引に会話を切る。ゆったりとした時間も恋しい物だが、エマージェンシーは誤魔化せない。
そんないつもどおりの調子に安堵したのか、ルリは不承不承といった感じで溜飲を下げたように見えた。
彼女らしくない大仰な溜息に、セレスは今度こそ真の笑みを零すしかなかった。

ルリが事務的な顔に戻ると、コックピット内、ルリのウィンドウの周囲にまた別のウィンドウが現れた。
見慣れた画面。今となっては日常的な風景になりつつある敵機襲来のアラートも連れている。
ナデシコを中心として、レーダーには多数のマーカーがグリッドの隙間に散らばっていた。
隣にはナデシコの状態。エンジンの被害が思ったより酷く、気密隔壁も幾らか落ちているし、ディストーションフィールドの出力も芳しくない。
だが、エステバリス発進に使うカタパルトはなんとか無事。
居住区にもいくつか被害が及んでいるが、不幸中の幸いか、死傷者数は皆無。


「火星からチューリップ突入後、どういうわけか月軌道のチューリップに復帰した模様です」


流石、というべきか。十秒も立たないうちにセレスの欲しがっていた情報は全て補充された。

レーダーから判断できること。現在ナデシコは戦線の真っ只中、敵味方の間に挟まれていること。
両軍とも攻撃の手が緩んでいることを見ると、困惑していることが伺える。
それも無理はない。チューリップから出でるのは木星蜥蜴と決まっていた前提がみるも無残だ。
両者ともども、このナデシコが敵か味方か諮りかねているのだろう。

そして、一番欲しかった情報もセレスは受け取った。
ナデシコは過去と変わらない未来を歩んでいること。彼女が知りたかったのはこのことだった。


二進にっち/RP>三進さっち/RP>もいかないか、よし。現状をどうにかする」


「どうにか…?」


一つ一つスイッチを入れるのも面倒、横一列に並んだそれに親指を走らせるだけでいい。
全ての回路が閉じたゼロは唸り、今まで静寂を保っていたメンテナンスベッドが怱々とし始めた。



ナデシコの整備クルー達から丹念に修復され、金切り声を上げなくなったアクチュエーター。
煤け、黒くなりがちだったエアインテークも、最初の鮮やかさを取り戻した赤になっている。
決して優雅ではなく、決して輝かしくない。そんなゼロのボディは一際薄暗さに映えて、淡い光を湛えていた。
突出したヘッドギアはコックピットカバーにかかり、エステバリスの二倍弱の巨体は勇ましく奮えている。

その威容、極めて異様。

機能性を追い求め、個としての強さを追い求め、何者にも妥協を許さない。故に、異様は偉容に取って代わる。
黒、絶対の色を纏い、所々に紅が走るその巨体は何より強暴。
その強暴さを獣に例えればことは足りるであろうか、感喜する機体は更に緊張を高めていく。
獣は身を護る鎧を纏わず。されど巨人は鎧を纏う。故に巨人は獣ならず。
純然たる力に纏わりつくのは、黒。
偉容は更に異様を窮めていき、重ねて形を変える。

メンテナンスベッドから、パーツが作業アームで伸びていく。
肩に担いだ異常なほど大きい刀、時空歪曲場破断刀。一見して鉄骨と見紛う九十ミリ大口径レールガンランチャー。
ガトリング、ミサイルの類、各種装甲の類が取り付けられて、ようやく取り巻きの作業アームは退いた。

カタパルトに立つと、機体が電磁力によって宙に浮きあがる。


「どうするんですか?」


ルリの声を聞き、セレスは不敵な面で呟いた。


「腹いせだ。背中から撃たないでくれよ」


その瞬間、ゼロの緑眼はぎらついた。




勇ましく駆けていくゼロを見送った後のブリッジの中、ルリは軽く息をついて艦内全域に通信を繋げた。
パーソナルコミュニケにも範囲を拡大、音量は最高潮。
本来ならこんなことは機体や艦内の現状報告程度の仕事しかない彼女の仕事ではないのだが、生憎と他をカバーしてくれるメグミはもう一つのオペレーターシートに寄りかかって熟睡と来ている。
やるせない憂鬱な気分は拭えないが、先ほどまで渦を巻いていた心の靄は晴れていた。

コミュニケからの強制介入、非常時なのだからプライバシー云々は勘弁してもらおう。
艦としての機能がまるっきり発揮されていないと思えば、クルーは皆感嘆する程惰眠を貪っていた。
それはもう爆睡といって差し支えないくらいだ。真面目に業務に従事している自分を見ると、不条理に思えて仕方が無い。


「みなさーん、おきてくださーい」


理不尽な苛立ちを言葉に込めようと、感情の起伏の少ない自分では変化もわからない。


「おきてくださーい」


寝起きの悪いクルー達に呆れて、頬に手をやり下に下げる。
びろーん。と音が聞こえてきそうな、目が垂れた表情で彼女は続けた。


「みなさーん」










白の戦艦、ナデシコ。
ネルガル重工が開発し、火星奪還計画スキャパレリの主翼を担っていた白亜。
航空力学など、辞書の中の言葉だとでも言わんばかりの形状。
巨大なアンチデルタの砲門を挟んで伸びるディストーションフィールド発生ブレード。
その付け根からは狭胴、そしてエンジンにつながるところでまた広がる、全体は上から見下ろして引き絞られたH字型。
狭胴からは三角が乗っかって、一見して戦艦とは見えない。
だが、この戦艦がナデシコ。長崎、佐世保において侵攻してきた木星蜥蜴の群を消し飛ばした難物なのだ。
大気という名の壁を越えて、宇宙に飛び立ってから音沙汰が無かった戦艦。
けれど、事実として一の戦力としては現在最強と謳われている。

黒を切り裂き、存在を強調する白。

一言で言って、信じられなかった。グラジオラスの艦長は眼をむいていた。
雲霞の如く広がっていた木星蜥蜴は散り散り。チューリップは爆散し、破片は木星蜥蜴の戦艦群に突き刺さった。
これを僥倖といわず何と言おうか、増援が無くなってお互い条件はイーブン。数はまだ地球側に分がある。
―――勝てる。
グラジオラスの艦橋で人知れず拳を硬く握っていた艦長は、不敵な顔に伝う汗を拭った。


「ナデシコから機影一確認! …何…UNKNOWNアンノウン/RP>…?」


オペレーターの報告も歯牙にかけない。戦勝への高揚が段々と首を擡げてくる。


「主砲用意! 一気に蹴散らすぞ!」


「無茶です! 機動兵器の識別がまだ!」


いきなり腰を折られ、艦長は露骨に不機嫌な顔で身を乗り出し、モニターを睨んだ。


「なにぃ、っどこの馬鹿だ!」


「ナデシコです、詳細は不明!」


怒号には怒号が帰る。二人の眼はただ、黒に浮かぶ黒を見ていた。


真っ黒、三百六十度全てが黒に染まりきった世界。
ところどころに針で穴を開けたかのように洩れる光以外は、全てが黒に染まっている。
なんとも味気の無い空間だ。戦艦や機動兵器がいたとしても、その空間はがらんどうにみえた。
暗黒の世界には遠近感と言う物が存在しない。ただものが大きいか小さいかの差。
故に、今浮かんでいる場所から見える黒はどこまで続いているのか皆目見当がつかない。
永遠に続いているのかもしれないし、はたまた手を伸ばせば光る粒に手が触れるほど近いものなのかさえも。

モニター越しの宇宙には、散々に乱れた木星兵器群の列。
黄色、灰色と毒々しいほどに目を苛む色が散らばるその宇宙に、ぽつんと一つ黒がいた。
遠くから見れば、それはちっぽけな塵のようにしか見えなかったかもしれない。
それでも、その黒は人の形をしていた。
地面などないというのに、仁王立ちと例えるのが相応しいほどに、威風堂々と、それはいた。
おかしな話だ。人の形をしているのにそれは今しがた通り過ぎた十メートルほどの破片と同じ大きさの体躯を持っているのだから。
眼など、見るものを全て竦ませようとするくらいに切りあげられた碧色を湛え、雲霞の軍勢をただ一心に睨み続けていた。
人ではない、それは人ではない。
十メートルを有に超える体躯。その体より大きい剣を背負い、それはあくまで毅然と存在していた。
人であるにはあまりに巨大。加え人にはありえないかど/RP>を持っている、故にそれは人ではなく、人型。

人型は孤独である。周りには人型と同じ類は見当たらず、あるのは蟲と艦の群れ。
後ろには白亜、眼前には壁のような機械の群れ。されど、人型は竦まない。ただただ一心に、それらを睨むだけである。
白亜を護るように、また群れに挑むように、その人型は二つの間にいた。
距離にして、双方の間百メートル、といったところか。拮抗する両者は、その巨人によって拮抗を保っていた。

蟲が、戦艦が、一つに集まっていく。
散り散りになっていた塵芥が形をなし、まさに壁の如く、巨人の前に立ちふさがった。


「無茶だ! 国際救助チャンネルでいい! あの黒い奴に繋げ!」


グラジオラス艦橋。艦長席から望むモニターの向こう、黒い機動兵器は取り囲まれ始めていた。
いくら巨大な体躯を持とうが、群れを成した蟲と比べてしまえばその体躯もちっぽけに見えた。
母艦であるナデシコを護ろうと発進したのだろうが、いかんせん位置が悪かった。
地球軍と木星蜥蜴の軍に挟まれ、八方塞となったナデシコの手前。木星蜥蜴の艦隊は六割方消し飛んだ物の、残りの四割は健在である。
詰め寄られてしまえば、地球側の戦艦の放火を一つに集めでもしない限り、その包囲網を破壊することは困難。

グラジオラスの艦長は、今まで自軍に傾きかけた勝利の予感のために叫んだ。
何せ、ナデシコやその艦載機と見られる黒い機動兵器を巻き込んでしまえば、地球側の損害となってしまう。
ナデシコは敵軍の注意を散らして地球のほうへ後退しつつ、地球軍に戦場をゆだねるべきなのだ。
そうしなければ刺激を受けた敵からの容赦ない放火に晒され、宇宙に流れるデブリの仲間入りだ。

国際救助チャンネルを使えば周波数を合わせる必要なく交信が可能、自軍の無線にオペレーターの声が混ざってしまうが、背に腹は変えられない。


「りょ、了解!」


慌ててコンソールパネルを叩き始めるオペレーターに痺れを切らしたか、艦長は苛立った様子でオペレーターのヘッドセットを剥ぎ取った。


「おいっ! そこの機動兵器! 聞こえるか!!」


轟と吼えんばかりの怒鳴り声は、地球軍艦隊全艦に響き渡った。


「当艦は地球軍、第二艦隊旗艦グラジオラス。現在我々は木星蜥蜴と交戦中である。放火に巻き込まれたくなかったら速やかに戦域を離脱されたし! 繰り返す!」


モニターの黒に、動きはない。


「っ、聞こえているのかっ!?」


日ごろの高血圧が原因か、それとも憤怒の表情で怒鳴り散らした影響か、赤く染まったサングラスの下の顔。
ヘッドセットがミシミシと悲鳴を上げ始めた頃、ようやっと返ってきたものは声ではなく、機械的な舞踊の始まりであった。

疾走する。
ゴミのように散らかった星の中、画面の向こうは無数の脚光を浴びて動いた。

今まで続いていた拮抗と言う均衡はものの見事に崩れ去り、蟲は人型に殺到する。
黄色と黒のまだら模様は気分を害するほど目まぐるしく変わり行き、同時に切り立った黄色の壁は津波と化す。
無機質な黄色と、黒いキャンバス。その中で唯一つ凛といる黒は未だ、動かない。













モーニングコールにしては、度が過ぎて抑揚もなく小うるさくもない声など役どころとしては不適切。
耳触りの良い声を聞きながら、視界にはいった芝生を眺めていた。
そよそよ、と時折ぬるい風が体を舐り、甘ったるい体を軽くしてくれている。
鼻に香るのは蒼い草の匂い。むせ返るまでといかないのが救いだった。
心地よい空間は久しぶりだ。遠い昔に忘れて久しい草の匂いで頭は往時を思い出す。


「起きてくださーい。艦長ー」


「わきゃぁ!?」


突如としてボリュームの上がったBGMに中空を見上げると、薄ぼんやりとした意識を覚めさせられたユリカは吃驚したように飛びのいた。
そこには見知った顔がいた。呆れ果てたのか頬を引っ張り、目を垂らして舌をぺろんと出している少女の姿がある。
先ほどから聞こえていたモーニングコールは、やはり肉声だったらしい。
四角く展望室を切り取る窓の中にいるルリは頬に添えた手を外すと、手元のコンソールパネルに手を置いて口を開いた。


「…。通常空間に復帰しました。艦長、なんでそこにいるんです?」


「ぇ…あぁ」


青い芝、開放感のある高い天井。バーチャルルーム特有の頭部デバイスの違和感もない。
ユリカがいる場所は展望室だった。
見回せば人工的に作られた草原。機械的な匂いがする空調で変えられた気温と気圧。

ふと気づけば、展望室にいたのは自分だけではなかった。


「えぇ!?」


上半身を起こして視線を移した先に寝転がっていたのは、テンカワ・アキトとイネス・フレサンジュ。


「駄目ぇ!」


お互いが向き合って、あたかもつがいの様な感さえ見える様子に、ユリカは目を見開いてアキトを引っぺがした。


「艦長」


寝起き目で仰向けになるアキトと、安堵したように溜息を吐くユリカを交互に見比べながら、忘れられそうになっていたルリが憮然とした調子で呟く。


「え、あはは。外の様子見せて」


恥ずかしそうに頭をかきながら、ユリカはルリの冷たい目をいなすが如く話題に感けた。
そんなユリカに益々呆れた目で見ながら、ルリは抑揚のない声で言う。


「はい。展望室のスクリーンに状況を投影」


「えぇ!?」


文字通り一瞬で現れたウィンドウには、艦の外の様子が写されていた。

黒い宇宙。
そこには黄色が舞っている。
判断することに時間は要らなかった。黒と黄色の危険色は嫌でも本能の危険信号を掻き鳴らす。
バッタが縦横無尽に飛び回り、見渡せる黒い背景を埋め尽くそうとしていた。


「現在月付近。蜥蜴の真っ只中」


嫌に冷静な声が酷く場違いに聞こえてしまうのも無理はないか。
敵陣真っ只中だというのに、落ち着いていろというほうがどうかしている。


「グラビティブラスト広域放射! 直後にフィールド張って後退!」


焦燥に駆り立てられるようにして、ユリカは隣に移動したルリのウィンドウに向かって叫んだ。
対して、ルリは慌てたユリカに眉を顰めると、少し間を置いて応えた。


「…今、セレスさんが迎撃に出てます」


つい、と、泳ぐ目の先にあるのは黒い宇宙。
その目線は、水滴を散らしたように輝く星の間黄色が忙しなく跳梁する中で、目を凝らしても見失いそうになるくらいちっぽけな黒いものを捕らえていた。
眼光は、普段の彼女らしくなく二つの感情に満ち満ちている。
有象無象の軍勢に取り囲まれ、孤島に取り残された漂流者のように、茫洋とした彼方を見つめる巨体。
それが鋼の波に押しつぶされてしまわないかと言う根拠もない不安。
そして、その凶悪な壁を必ずや打倒するであろうと願い、確信するルリの顔。

マシンチャイルドという肩書きの通り、ホシノ・ルリはまるで機械のような人間だ…と、初めて見た時にユリカは思っていた。
感情の起伏はなく、数世紀前の人工的な音声と似通った平坦な声音。
同じく表情と言う物もなく、無表情、無関心な寡黙な少女として、ある意味異質な存在として彼女の眼に映った。
けれど、ルリがセレスに懐く様になってから、ルリは大分変わった。
少しずつではあっても、セレスにも喜怒哀楽を見せるようになって、それからはクルーにも僅かながら柔和な表情を見せた。

あまり良い例えではないかもしれないが、ルリが乗艦当初に感情が薄かったということも生い立ちを考えれば当然なのかもしれない。
生まれたばかりの赤子は、大人がいくら笑みを見せても無表情のままである。
それから人の感情というものを覚えた赤子は、自らの情動を残したまま自身の感情を自覚し、成長していく。
故に、ユリカはそれをルリに重ねて、それもあながち外れてないのだと感じた。

ルリは、俗世に染まらない白紙の状態だったのだろう。

その白紙に、セレスは良い意味で生の実感を与えたのだ。
無機質なルリに対して、割と淡白で世俗から一歩引いた印象を受けるセレスは良い影響を与えたと思われる。
突然に、それも生を受けて十年と少ししか経っていない少女が戦艦に放り込まれ、大勢の大人に囲まれ。
不安というものも知らずに、億尾にも出さず黙々と職務をこなすことを教えても、大人達は大切なことを教えて上げられなかった。
一番大切なことを教えたのは、きっとセレスだったのだ。


「うん。じゃぁ、ディストーションフィールドに出力回して、エステバリス隊は出撃準備!」













イメージ・フィードバック・システムは、闘争本能を呼び起こすという。

闘争本能。戦いたがる意思。
それが闘争本能だというのなら、彼女にしてみればそれは噴飯の種にしかならない。
IFSが奮起させるのは、何も闘争本能だけではない。
腹の底から溢れ、足や指先に溜まっていく感覚。力が漲る…などと生易しい物ではなかった。
戦え、と、頭がひっきりなしに催促してくる。
しかしながら、そんなちゃちな要求など、所詮餓鬼の駄々程度の物。
本当に来るのは、そんな貧相ものではない。

レッドアラート。

モニターには自機を中心とした立体座標が写され、それには球形にゼロを取り囲む敵機の光点が存在していた。
常に脈動を繰り返す球の表面である黄色い蟲は、禍々しく紅いアイカメラを向けてくる。
コックピットの照明は赤色灯に早変わり。
全身が赤く染め上げられ、血まみれに見えてしまうのは最早錯覚だ。

赤と黒。

溶け合うことなくお互いを隔絶した色彩の世界。
視界には二色が粗暴に入り乱れ、品性もなく明滅を繰り返す。

目に痛い。

知らずのうちに、掌が汗ばんでいた。


人を人たらしめているものが理性だと言うなれば、生物と言う枠組みをくくるのは本能だ。
形を成して些細な理性が、生物の起源まで遡る本能に勝るか。否。
けれど、人間はむき出しの本能を理性でひた隠す。故に人は獣ではない。
抗えない本能だったとしても、事実高揚として体を満たす感覚に嘘はない。

その身はカタルシスを求めている。


「…。上等だよ」


無粋な蟲から受けた舞踊の誘いを、セレスは意識の伸びた腕で弾いた。












軽く弾かれた。たったそれだけで黄色い虫は崩れながら散った。

巨人は敵だと、はっきりと認識された。
蟲は警戒の度を越えた詮索により、その結果を得ることに成功した。
敵ならば容赦はしない。圧倒的物量によって、物量に対し塵のように小さい人の形をした鋼鉄の塊をガラクタに変えるのみ。
切り立ったまだらの波は一つの意志により黒へ押し寄せる。

それに引き換え、黒い人型は別段気に留めた様子もなくラピッドライフルを手に取った。


怒涛。

音などあるはずのない宇宙に広がった鋼の奔流は、明確な意思を持って荒れ狂う。

バクンッ、と引っかかるようなタイムラグの後に開かれ、顔を覗かせる弾頭。
肩と脹脛外側のハードポイントに装着されたミサイルランチャーが煙の尾を引いた。

その数にして二十八。
白糸は統制も何もなくただ乱雑なままで黄色の激流に突き刺さる。
爆炎は微細な飛沫を飛ばすのみ。勢いは止まるところを知らず、黒をひたすら飲み込まんとするばかり。
強大な勢いに逆らうには至らない破壊は些細な威力なのか、衰えることなく迫る蟲の眼に、今度は巨人がふる/RP>えた。
右手に携えたラピッドライフルが火を噴く。
荒削りな動きの中に息づく精密な射撃は、先のミサイルなどと違い一機一機を捕らえて行った。

放たれた弾丸の数だけ撃墜されていく機体。
所以はミサイルによって与えられたダメージが抜け切らないディストーションフィールドにライフルを打ち込んだことにある。
ミサイルが直撃したのなら良い、しかし、それでは範囲が限定されてしまう上に多数の撃墜もしにくくなる。
そこで、セレスはあえてミサイルを単体に直撃させようとはしなかった。
ばらけて放ったミサイルは確実に多数の相手の防御力を減らし、ライフルで打ち抜けるほどの出力にまで落としたのだ。

蟲は半分にまで減った。数など数える暇もなく、次の攻撃がくる。


「…煩わしい」


鋼鉄の巨人を駈り、戦場を駆けるセレスはそう毒づくと、左手にナックルバスターを抱えて黄色の波に飛び込んだ。

右手に握ったラピッドライフルをイミディエットブレードに持ち替えて、すれ違いざまに寄ってくる蟲を切り裂いていく。
反動でよろめく体はブースターで過剰に支え、更に加速を続けて飛んでいった。
碧眼が正面に定めるのは戦艦。その事実に気づいたのか宙空を漂っていた蟲がゼロに猛追する。
だが、ブースターの総出力の桁が違うため追いつくことなど出来るわけもない。
途中のバッタを蹴散らして進む姿は正に鬼神。

構っている暇などない、といった言葉を体現する荒々しい突貫。

眼前に現れたバッタの群れにはブレードが振るわれ、切り立つ崖の様だった群は切り崩され、瓦解していく。
黄色い靄を抜けた黒い巨人は今一度ブレードを仕舞い、ライフルに持ち替えると、前方の戦艦に照準を合わせた。

肩部大型ガトリング砲、右腕ハードポイントに装備されたガトリングガン、握ったラピッドライフルを戦艦に向ける。
全てのブースターをアイドリング、来るべき衝撃に備えてゼロの体は静かに揺れていた。


「…落とす!」


―――轟!!

ブースターから炎が上がった。
突き動かされるようにして爆ぜたゼロは、あえなくそのスピードを殺すことになる。
壮絶にかき回されるコックピット、衝撃はライフルとガトリングガン、そして大型ガトリング砲の反動だった。
戦艦級のディストーションフィールドの強度は小型兵器のものとは比べ物にならない。
それゆえ、暴風のような実弾の砲火にさらされたとしても、僅かな綻びを生む程度に過ぎなかった。


されど、ゼロにとってはその綻びだけで十分。


不意に弾丸の嵐が止む。
間隙に、一際大きい反動が生まれていた。

今までの銃器とは一回り違う反動は、機体を遥か後方に押し流そうとする。
腕部の付け根が悲鳴を上げるが、ストックにしては長い後部が運良くバッタを弾き飛ばしてくれたお陰で衝撃は逃がすことができた。
大口径レールガンランチャーに放たれた弾丸により、戦艦は轟沈していく。





爆発の後、程なくして第二陣と思われる戦艦の群が遠くに光った。

―――拙いな。

今しがた片をつけた戦艦は爆散して周辺の戦艦も巻き込んでくれたが、流石に一機で艦隊全ての相手はシビアだ。





…けれど、そのタイトな条件こそ相応しい。

プロトタイプエステバリス【ゼロ】は、ナデシコに搭載されているエステバリスなどとは違う。
スケールアップしただけではない、強さを突き詰めた概観のみならず、そのコンセプトは。

―――単機による、戦場の突破。


『敵、第二陣来ます』


ルリの声を聞きつつ、目は既に敵に向かっていた。
ナデシコから発進したエステバリス五機は、ナデシコを中心として放射状に散開している。
ならば、後ろを気にするのは失礼というものだ。


『ったく、また無茶しやがって』


唐突に現れたリョーコの不貞腐れた顔に苦笑すると、セレスはIFSコネクタに手をやって応えた。



出色のサバイバリティと、高火力の武装。
旧世紀の戦車のように大きい火砲はないが、その分多くの武器でそれを補っている。
中でも異彩を放つのは、巨大な"刀"であろうか。

片刃の大型刀は、ただ鉄板をそれらしい形に模しただけであるから、厳密に言えば刀とは異なる。
鞘もなく、反りもなく、直線で形作られたそれは無骨な機体にそぐう様を呈していた。
イミディエットナイフのように超振動しないそれは、まさに破断する刀である。
勿論、宇宙空間で長い獲物を扱うことはあまり有効ではない。
だから、だろうか。
背から抜き放った刀を両手で振りかぶると、それを持った巨体は先ほどのように急加速を始めた。

投擲。

長さ十メートルを軽く凌ぐ刀を、ゼロはいとも易々と投げて見せた。
直線に流れる刀には一切の回転がなく、一度速度が落ちたゼロも巻き上げる炎を一段と大きくして追従する。

忙しい人型の挙動に慌てて銃火を散らす蟲は、センサーがそれを捕らえた瞬間に爆発。
ゼロの両腕のガトリングガンが蟲を蹴散らし、肩のガトリングランチャーは刀の行く先を定める。
中型チューリップだ。月の裏側から出てきたのか、増援と言えどその数は意外と少数。
それでも、チューリップの花弁を開かせるわけには行かない。

入射角は良好。真っ直ぐな線を描いた巨大な刀は丁度垂直に突き刺さった。
ガトリングで着弾地点をついていたのが幸いしたか、それとも弾丸とは比べ物にならない質量と、先端の面積が少ないことが起因したか、刀はその六割を埋めている。
しかし、それだけではチューリップを破壊するに至らなかった。
飛び散った破片をディストーションフィールドで弾きつつ、今度は大きな弧を描く。

密集した戦艦の周りを縫うようにして踊るゼロの巨体は、持ち前の大きさを思わせない軽やかさ。
もう前に弾は撃たない。付いて来る蟲に放火を浴びせるのみ。
進行方向と真逆への最大加速フルブースト/RP>


「くぅ…ぐっ…」


半端なスピードではない。
そのスピードを、ゼロは刀にぶつけた。

突き刺さった刀の峰を蹴る。寸前に柄を掴んだからか、猛烈なインパクトはそのまま球根の外皮へ伝わった。
振動から伝わる音、音から伝わる振動はコックピットをミキサーに変え、凄まじい反動はシートベルトが肋骨を軋ませるほどだった。

球根は細長く、その縦方向に裂かれ割かれる。

端まで行くか否やと言うときに、とうとう刀は折れた。
それを皮切りに、全長の七割のクレバスに突き刺さったままの刃金をそのままで、ゼロはチューリップから飛び去った。
五十メートルほど距離が開くと、今度は急停止。


「あんまり、スマートじゃないな」


照準。切れ目の奥へ。二十八の白糸が奔る。

次の瞬きの後には、大きな爆炎が生まれていた。






















あとがき


ようやく復帰。
なのに、冒頭戦闘部分でここまで食うとは(苦笑)
如何に削るか、如何に伸ばすか、面倒ですな。
まぁ、戦闘と区別するには丁度いいところだったので、こんなところでスパっと。

久々に戦闘シーンを手がけて、思ったこと。
詰まると進まず。

構想が固まってきたっていうのに、そこに至れないってのはキツイもんです。


By しょうへい

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