機動戦艦ナデシコ

Princess Of Darkness

ACT−#10「残る言葉は唯、悲しくて、哀しく」











紛れ込んだ不確定要素が、徐々に頭角を現してきている。

それは、まさにシステムに組み込まれた乱数のように。

しかし、その不確定要素でさえ、未だ計算の結果は予想できない。

願わくは、最善を…。

だが、乱数が正負どちらになろうとも、結果は変わる。

故に、静かに…しかし確実に、未来は蠢動する。
















ナデシコ内、会議室。
その中、数人の者達が今後の作戦について論議を重ねていた。
雰囲気は世辞でも明るいとは言えず、薄暗い照明のせいかそれぞれの面持ちは沈んでいるようにも見える。
それらの顔を、下部モニターからの光が絶えず照らし続けていた。

端から見れば、不気味な光景だった。

幽鬼さながらの顔に見えるのは、眼窩に影が落ちるが故。
しかし、照らされる肌の色は白百合のよう。
そのどれもが活力がありながら、その活力を出していない。
青くない、唯それだけである。
けれども、その中で唯一光を返す彼、彼女達の眼は、ただただ光るモニターに向けられていた。


「周囲をチューリップ五基か…。」


不機嫌そうな面でモニターを見ながら、ゴートは何時にもまして苦々しい口調で呟いた。
彼の目の前にはリョーコたちが収集してきた研究所近辺の敵分布がある。
図中には研究所であるピラミッド状の建造物があり、
それを取り囲むようにしてチューリップが五つ散在していた。


「厳しいですね。」


ゴートの言葉に、ジュンも自然とうなづく。

火星は現在木星蜥蜴の勢力圏で、制空権もなければ、絶対的なアドバンテージがあるわけでもない。
傍らのイネスはナデシコと同じテクノロジーを使った敵戦艦がナデシコの数十倍出てくるのだから、
火星圏離脱は絶望的なこと、と割り切っている。
実際に、火星に降りた後の初戦では量に負けて甚大な被害を被っていた。
相転移エンジンもダメージを受け、ディストーションフィールドブレードにも被弾。
満足にディストーションフィールドを張ることもできず、
宇宙空間でもないため相転移エンジンの出力も上がらず、グラビティブラストもそうそう撃てないし、
エンジンの出力不足が祟って、地球より重力の少ない火星を離脱することもままならない。
平たく言えば、お手上げ状態だ。

暗澹たる思いを抱き、顔を沈ませる一同の気持ちを知ってか知らずか、プロスが口を開いた。


「しかし、あそこを取り戻すのが言わば社員の義務でして、皆さんも社員待遇であることはお忘れなく。」


あくまでビジネスを一番に考えるプロス。
その軽々しい思考に、リョーコは辟易した表情で嘆息して見せた。


「俺たちに、あそこを攻めろって?」


それは、無謀だと誰もが理解していることだ。
今までの戦いは全て、ナデシコの主砲グラビティブラストによって勝敗が決まっている。
前回の戦闘から見ても明らかなように、敵戦艦のディストーションフィールドは強化され、
現在はエンジン、ディストーションフィールドジェネレーターブレード共に被弾。
唯一の対抗手段さえ消えかかっている、という非情な現実だ。
それに対し、エステバリスは全機健在ではある。
しかし所詮機動兵器は機動兵器と戦うもので、戦艦を落とすような芸当は出来ない。
火を見るより明らかな事実は、ナデシコの不調という現実も加わって、嫌にリアルな未来を予感させた。


「私…これ以上クルーの命を危険にさらすのは嫌だな…。」


ユリカも、前回の軽率な行動で多大な被害を被ってしまったことで慎重になっていた。
いつも太陽のように明るい笑顔を呈する顔は状況を見てか、沈んでいる。
沈痛な面持ちのまま、彼女は溜息をついた。
その表情を横目で見ていたフクベは、相変わらずの様子で顔を顰める。


「…アレを使おう。」


「「「「【あれ】?」」」」


間を置かずして一同が振り向いた先にいるフクベの眼は鋭く、凍りついた戦艦に向けられていた。








格納庫の中、耐寒仕様のために機体の不凍セッティングが進められる最中で、
アキトのエステバリスには整備班が張り付いていた。
何せ零下である。質の悪い油などもってのほか。
絶対零度とはほど遠いものの、温帯の普段着で一歩外へ踏み出せば凍傷になりかねない温度。

地面を覆う積雪は途切れと言うものがなく、それこそ極冠とそれ以外の場所の境界を堅持するかのように成っていた。
生命の息吹はなく、ただ綺麗過ぎる白が無造作に折り重なっている様は、まさに乱れ一つない死地を感じさせる。
純白に、鮮やかな絹の質感を呈した大地は皆、ことごとく、また感嘆するほど死んでいた。


「おらー!後3分で仕上げるぞー!」


「うーす。」


メガホン片手のウリバタケの声に呼応する整備班の面々。
そんな者達とは別に、エステの前にはゴート、アキト、イネス、フクベが並んでいた。


「考え直していただけませんか提督、危険です!私が行きます!」


クロッカスを使う事にはIFSではない戦艦の操舵技術が必要だった。
その為には操艦技術のあるフクベが行かねばならない。
この艦には連合所属といっても戦艦操舵をできる人間はいなかったのだ。

耐寒防護スーツを着込んだイネスとフクベ。
それとパイロットスーツを着たアキト。
彼らはこれからクロッカスに向かい、それが正常に動作するかを調査することになったのだが。
ゴートは易々と首を動かさなかった。
エステバリスでクロッカスまで移動し、そこからイネス、フクベで事を行うにしても、戦闘経験のある者などフクベぐらいだろう。
万が一、億が一、内部に敵がいればそれは危険を通り越して命の大安売りだ。
故に、ゴートは自らの追行を進言した。


「手動での操艦は君には出来まい、それに、とりあえず調べに良くだけだ。」


聞き分けのないゴートを説き伏せようとして、フクベは心にもないことを言い出した。
その言葉に唸り、ゴートは渋々ながら溜飲を下げる。

すると突拍子もなく、横にいたアキトが不貞腐れた様子で言葉を洩らした。


「それはいいっすけど、何で俺が連れてかれるんすか?」


「罰だと思ってくれ。」


フクベが洩らす皮肉交じりの言葉。
アキトはそれに何も言い返すことが出来ずに、顔を背ける。
そんな様子を傍から見ていたイネスは、アキトの態度の滑稽さに苦笑した。


「宜しく頼むわね、アキト君。」










暫くの後。
アキト、イネス、フクベの3人を乗せ、陸戦フレームのエステバリスは後部ハッチから一歩踏み出した。

赤道重力が地球の約五分の二以下という、太陽系では冥王星、月に続く水星と同じ、
そして地球より少ない重力のためか、落下速度はいくらか遅い。
かといってスラスターを徐々にフレアしていかないと接地の衝撃が直接伝わるため、
アキトは着地の前にフットペダルを蹴り、背中のスラスターを大きく吹かした。
まるで羽毛のような雪を掻き分けるようにやんわりと着地するワインレッドのエステバリス。

それからは極地用に接地面を大きくされたフライホイール駆動によるキャタピラダッシュで進む。

着地した広大な氷原の地平線は全て明確であった。
空に流れる雲と同じように、差し込む太陽の光で燦然と輝く雪。
気温が零下数度、雲量五という天候のなか、雪は片栗粉に近い粉状になっており、地球では砂漠のような地面だった。
しかし、宝石をちりばめた白い砂に光を当てたとしても、こんな情景にはなり得まい。



そのような雄大な場景のなか、ポツンと佇んでいる無骨なオブジェクト。
クロッカスまでたどり着くまでの間、狭いコックピットの中に会話が紛れる事は一度たりともなかった。









クロッカスの電源が生きていた、とアキトが感じたのは、大型ハッチの開閉コックをエステの手が捻った時だった。
搬入口と思しき巨大な口を開けるそこに、エステは身をかがめることなく進む。
それからコックピットを開き、吹き込む外気に肌を振るわせつつも、アキトたち三人はクロッカス内部に入り込んだ。



やはり、艦内も外界と同じように凍てついた空間だった。
壁に走る霜や氷が幾重にも重なり、堅固な檻の形を晒している。
その凍りついた暗い通路の中、アキトはゴートから受け取った自動小銃を手に、
懐中電灯をもって進むイネスとフクベの後ろについていた。

暗い艦内に人の気配は毛頭無く、耐寒スーツでも伝わる異常な酷寒だけが如実に体を責め苛む。
死んだ艦内をひたすらに歩く三人は、得体の知れないこの場所に寒気以上の気味の悪さを感じていた。
手にした光源は心細く、闇を払拭するには役不足。

閑寂に満ちた通路を切り裂く靴音が三つ、暗黒の深遠まで溶けていった。








「このクロッカスが消滅したのは…地球時間で約二ヶ月前。」


イネスの声が沈黙を破る。


「でも、これじゃどう見ても二ヶ月以上…いえ、もっと長く凍りに埋まっていたみたい。」


お得意の説明口調で、イネスは眼が届く範囲の状況から得た結論を述べた。


「ナデシコの相転移エンジンでも火星まで一月半かかったのに…」


「チューリップは物質をワープさせるとでも言うのか、あのゲキなんとかとかいうテレビ番組の世界だな。」


苛立ちがあるらしく、フクベは不満げに洩らした。
傍らのイネスはフクベの用いた例えに苦笑いを浮かべる。
だが、後ろについているアキトにとっては退屈至極。
学者としての頭もない彼には、イネスの言葉は難解すぎた。


「ワープという言葉ちょっと…。ただ私が調べた範囲ではチューリップから敵戦艦が現れるとき、
必ずその周囲で光子、重力子などボーズ粒子、すなわちボソンの増大が計測されています。
もし、チューリップが超対称性を利用してフェルミオンとボソンの…」


不可解な単語を理解しようとして、音を上げたアキトは退屈そうに欠伸を吐く。
…と、凍りついた船内の天井が不気味に光った。
一瞬ではあったが、イネスの説明からアキトの注意をそらすには十分だった。









ドクン、と心臓が高鳴る。









天井に巣食う黄色い影がゆらりと蠢く。
その姿を見とめ、瞬きをする前に、アキトは影の直下にいたフクベを目掛けて形振り構わず跳んだ。


「でぁぁぁ!」


防護スーツを着たフクベの背中に跳び、突っぱねるようにして倒れこむ。
彼らが倒れこむ音と同時に来る、金属の衝突音。
突然の暴挙に眼を白黒させたイネスは、何事かと言おうと首を回した途端、
己の隣、つまりは今までフクベが歩いていたところに何かが存在しているということに気づいた。



木星蜥蜴の無人メカ、体長一メートル前後の黄色い物体、コバッタ。
それが、イネスの直隣にいる。



イネスは絶句し、あとずさろうとして腰を抜かしてしまった。
へたっと座り込み、悲鳴でも上げないかと思うくらい顔を引き攣らせるイネスとは対照的に、
アキトはフクベを押し倒したあと、出番を待ちわびていた自動小銃に手をかけていた。

だが、此処まで来てアキトの頭の中は真っ白だった。
ナデシコに乗って銃を構えたことはあっても、発砲したことが一度もなかったのだ。

その瞬間で、コバッタが飛び上がった。

イネスが頭を抱えて体を背ける。
アキトは自動小銃を構え、震える銃口を空中のコバッタに突き出した。

ガギッ!!

重低の金属音が響き渡ることはあろうとも、銃声という破裂音がないことに違和感を覚えたアキト。
眼を泳がせると、彼は手に当てている引き金が押し込まれていない事実に愕然とした。


「ぇっ!?」


動作不良を毒づきそうになって、あまりの驚きにそれを忘れた口を開きっぱなしにしている間にも、
コバッタは放物線の頂点に上り詰めてしまっていた。


(やられる!)


アキトが絞りだす苦渋の声。
そんな物が獣の唸りにも聞こえるのは、唇が思うように開いていないから。
いや、開けなかったのだ。
食いしばった歯から吐息が暴れ出し、見開いた眼は死の焦燥を帯びて、一秒後の結末を甘受できないでいた。




バァァァン!バァァァン!バァァァン!




唐突に、背の後ろから腹部を抉り揺さぶるような音が三回、轟いた。

その音を発した物は、くすんだ白い煙を燻らせてアキトの顔の直横に伸びている。
ツンと鼻腔を刺す香りを知覚すると、軽い金属音が三度、未だ響く轟音に重なった。

音と匂いを生んだのは、真っ黒な銃身。
それを掲げていたのは思ったよりも力強い、フクベの腕だった。

コバッタは三回、空中で無様な形に仰け反ると、ゴトリと耳に不快な音を立てて地に伏した。

痙攣するようにしてビクビクとのた打ち回るそれが動きを止めるまで、
フクベは倒された体勢のまま油断なく銃を構えていた。








やがてコバッタのアイセンサーから光が落ちると、
フクベは埃を払いながら、気の抜けた様子で座り込んでしまったアキトに落ち着いた声色で呟いた。


「私など庇う価値もないのだろう、無理することはない。」


自虐的なフクベの言葉にはっとして、アキトは気まずげに、そして苛立たしげに視線をそらす。


「体が勝手に動いただけだ…!」


悔しげなその眼は、転がる薬莢と、安全装置がかかったままの自動小銃を握る己の手に向けられていた。















やはり、クロッカスの機能は生きていたようで、
三人が行き着いたブリッジは照明のスイッチを入れると、それまでがまるで別世界だったかのように息を吹き返した。

型式はナデシコより古いが、未だ地球連合の前線を張っている船だ。
そろそろロートルか、と其処彼処で囁かれているとは言え、戦艦を設計し、製造するには大変な時間と費用を要する。
そのため、地球連合はこのような戦艦を今でも使っている。

フクベが操舵席のタッチパネルを弄ると、すぐさま正面のメインモニターが起動した。
間を置かずしてエンジンが稼動し、予備電源から主電源に切り替わる。

その間も、会話はなかった。

ナデシコのブリッジで一悶着を起こしてから、フクベとアキト二人の間には言い例えられない気まずさがあった。
というより、アキトが一方的に敵意をむき出しにしている。
それでも、理性が先に動いているのか、不貞腐れて刺々しい言葉になることはあっても、
先ほどのようにアキトはフクベを庇った。
結局のところ、アキトという青年は一定の理念に基づいて行動しているのであろう。

眼の前で人間が死んで欲しくないから、彼は意思に従った。
ただ、それだけのこと。

実際、彼の中でも感情と理性の矛盾が鬩ぎあっていた。
艦橋で手を振るったのに、なぜ今更になって助けたのか。
アキト自身、不可解な気持ちに駆られていた。










「噴射口に氷が詰まっているようだ、取ってきてくれないか?」


思い悩むアキトに、フクベは言った。
自問自答を繰り返していたアキトはただ純然に聞き返す。


「俺っすか?」


「フレサンジュ、君もついていってくれ。彼一人では…わかるまい。」


「はい。」


苦笑がちに呟かれたフクベの言葉。
イネスはその言葉に失笑した。
この老人は皮肉と同じくらい風刺を言う…と。

言葉の裏に綴じこまれた哀しい決意に気づくことも無く。




















朗々とした蛍光灯の光が、瞼を通り越して眼球をじくじくと刺して来る。
痛みに似た、されども遠い近似に、医務室のベッドで横になっている女性は顔を顰めた。

酷く、気持ちが悪かった。
見上げればそこにある天井の白さを呪いたくなるくらい。
彼女にとっては清純に白い天井でさえ目に障る。

絶え間なく頭を殴打されるような鈍痛。
胃から食道を駆け上がってくる吐き気。
そして何より不快なのは、彼女自身が背中を落としているということだった。
けれども、不思議なことに彼女の体は、彼女の意思とは逆にこの状態を受け止めていた。
熱病に浮かされた病人の如く、体には痛みを伴う倦怠感しかありはしない。
だが、逆にそれが彼女を苛立たせる起因となっていた。

夢見が悪かったせいだろうか。

片手を動かす、というだけでも、まるで自身の腕に自分の体重程の重さをくくりつけられたように重い。
ゆっくりと手を額にやり、こめかみを強く押す。それでも一片すら楽にならない。
肌蹴た衣服、彼女は自身がなぜ今検査服を着ているかは知らない。
しかし、紙のように軽いそれに感謝していた。
片手を動かすだけでも重労働なのに、それに輪をかけることもあるまい。

暫く、吐き気に耐え、頭痛に耐え、倦怠感に耐える。

楽になることはなくとも、息を落ち着けることはできた。
臓腑は粘着質なチューイングガムを取り込んだように重く、体は血が沸点を超えたように熱い。
そして脳には水銀を注がれたよう。

力尽きそうになった手がずるりと顔を滑る。と、手が頬に触れた。
だが、そこにあったのは己の頬を覆う何か。途端、彼女はそれをもどかしく感じた。

眼を向けず、彼女は一息にそれを剥がした。
最中、チクリと痛む頬はこの際無視することにした。それで、それに覆われていた頬は少し冷たい外気に晒される。
まるで亡者。頬は求めていた外気に触れる歓喜した。

今までの不快要素が今手の内にあるものだったのか、それは彼女にもわからない。
事実、今までの体が錆付いた鉄とすれば、今では熱く滾っているかのようだ。

彼女は、ゆっくりと体を起こす。
それから静かにベッドを降り、彼女は医務室を後にした。
乱れたシーツを整えることなく、己のなりにかまう事もなく。























太陽が天頂に昇りきってから数分が経つ。
空という半円の滑り台をゆっくりと降りつつある太陽は、幾分か雲に遮られていた。
その雲はさながら網の様ながら、地球とは違う多少緑がかかった空を隠せないでいる。
所々洩れる陽光は地上に降るオーロラに似て、荘厳な雰囲気を醸し出していた。

いくら極冠の氷と言っても、二酸化炭素だった往時と違い、日中は太陽によって解けるものである。
丁度穏やかな太陽の照る時間になっていたこともあり、クロッカスの噴射口の氷は解けつつあった。
鋭角的なシルエットは着々と無骨に変わり行き、濃淡の無い灰色の船体は露にされている。

相転移エンジンが搭載されておらず、航空力学に従った葉巻状の形を見せ付けているクロッカス。
その尾である最後部の噴射口を眺めていたイネスは、アキトの操縦するエステの手の上で呟いた。


「これくらい露出していれば問題ないけど。」


空ぶかしすれば吹き飛ばせるほどの付着物。
それをわざわざとっていかせるフクベは心配性なのかと思った矢先。

薄い空気に低いエンジン音が轟き、大地を振るわせた。


「あっ!」


「なんだ!?」


よろめく体を必死にエステの指へ絡みつかせるイネスと、シートに押し付けられるアキト。
この状態の答えを探そうとようやく頭が回転を始めた時、フクベの切羽詰った声が響き渡った。


「エステバリス退け!浮上するぞ!」


「え!?」


なぜ、この時間に。敵もいないのだから急く必要も無いと言うのに。
徐々に垂直になっていく船体を睨みながら、イネスはそんな思いを抱いた。










腹の奥底まで食い込む地響き。
その発信源とも言うべきクロッカスが起き上がっていく様子を見て、ブリッジの一同は感心したように声を上げた。
霧霞む朝靄と似た、温床たる周囲に散る氷。ふわりと巻き上がっては漂う幻想的な情景、でも其処に優美さはなかった。


「クロッカス浮上します。」


「おお、十分使えそうじゃないか。」


ルリの報告に、プロスが自身の感想を乗せる。


「流石提督!」 


ユリカも尊敬の眼差しをモニターに向けた。


だが意外なことに返報はウィンドウに飛び出たフクベの険しい顔だった。


若干ノイズが混ざるものの、老翁の雰囲気はそれに阻害されること無く、重苦しい気配でナデシコのブリッジ全体を包んだ。
一息の間、沈黙が走る。







「現在の状態なら、クロッカスでもナデシコの船体を貫くことは可能だ。」







突然に放たれた、剣呑な言葉。


「え?」


「どうされたんです提督?」


一瞬き、ユリカが呆けてしまったところに、プロスが問う。
普段寡黙な提督が、戯れでもしようというのか。
冗談を面白おかしくいう人物かと問われれば、皆口をそろえて否定するであろうこの老人が。

だが、訝しげな顔をしてクロッカスを睨んでいたルリは目ざとく見つけていた。
クロッカスの主砲が回頭し、ナデシコへと寸分違わず向けられていることを。
それを確認した丁度その時、ルリの手元にデータが舞い込んだ。
送信者はクロッカスにいるフクベ。
ファイルを展開すると、正面に巨大なウィンドウが表示された。


「前方のチューリップに入るよう指示しています。」


内容をかいつまんでいえば、ルリの説明通り。
正面ウィンドウ、座標に重ねられたナデシコの画像からチューリップに矢印が向かっている。


「チューリップに?何のためだ?」


一同の疑問を代弁するゴート。


「あのクロッカスの船体を見たでしょう、ナデシコだって、チューリップに吸い込まれれば…」


「ナデシコを破壊するつもりだって言うんですか!?」


ジュンが濁して呟く答えに行き着いたメグミが、不安げな顔で振り向く。


「何のために?」


ミナトも、ただ納得のいかない暴挙に目を白黒させるばかりだ。

皆の頭に巣食うのは、疑問という名の懐疑。聡明な老人が、このような暴挙に到るはずがないという疑問。
そんなことをして、この老人に何の有益があろうか。四面楚歌の状況で、なぜ自分ひとりを衆から離そうとするのか。

納得できない不可解な状況に、エステから通信を聞いていたアキトは憤怒した。


「自分の悪行を消し去るためだ!失敗は全部人のせいにして、また一人で生き残るんだ!」


また、火星に、ユートピアコロニーへチューリップの軌道を変え落として逃げ延びたように。


「だったらまず、貴方を殺すんじゃない?」


エステの手にいるイネスからの声も、最早雑音と成り果てた。
今は唯、思うだけ。
あのすました顔の老爺を、本気で殴っていればよかったと。




クロッカスの主砲が火を噴いた。
驚く位綺麗なアーチを描いた砲弾は、ナデシコ付近十数メートルといったところに着弾し、ナデシコのブリッジ辺りまで氷を散らした。
噴水の水の如く、重力に逆らってまた落ちるダイアモンドのような輝き。
それも一つや二つではない。


「クソ爺!」


身を浸す怒り。
それにドス黒く染まって震える体に、思わずアキトは歯を噛み締めた。

ふと、見据えた先のナデシコ上空の暗雲が煌く。
否、煌いたのは紛れもなく、雲の隙間から垂れる光のカーテンに濡れた戦艦。
それは、先刻ナデシコを追い詰めた雲霞の大艦隊、木星蜥蜴の戦艦群だ。

欧風料理とて、前菜副菜主菜と順を追ってくるものだろうに、豪華絢爛華美贅沢。
慇懃無礼に巡洋艦、駆逐艦、旗艦全てで構成されている。


「見つかったのか!」


最悪だ、と、アキトは心の中で唾を吐き捨てた。










敵が空を埋め尽くす。

鉄の色へ変貌した夥しい暗雲は、猛威を振るう嵐を予感させる。
それに似合わない、極冠の氷と白亜のナデシコは極めて異端だった。
あるいは対極か。天に跳梁する黒、地に這う白の圧倒的差。
渦を巻く黒は、白亜を取り巻いて、蝕もうとしている。
艦隊の隙間から微量に垂れる光の帯は悲哀なほど小さく、同時に何時途切れてもおかしくないような弱弱しさに満ちていた。

だというのに。

愕然として、を通り越して早愚鈍とも取れるくらい、この差を見てもナデシコの全員は調子を崩さなかった。


「左百四十五度、プラス八十度、敵艦隊捕捉。」


事務的な報告を終え、ルリは呆れたと言わんばかりに嘆息する。
何がと問われれば、己の価値観だろう。
こんな時、更に冷静になるなんて、全くどうかしていると。


「二つに一つ、ですね。」


「クロッカスと戦うか、チューリップへ突入するか。」


ジュンが切り詰めた選択肢に色をつけたゴート。どちらも苦渋の顔を押し留めようとしない。


「じゃぁ、チューリップかなぁ。」


ミナトの軽口が場のムードを萎縮させる。
が、しかし、やはりここでもプロスは首を縦に振らなかった。


「何言ってるんですか!無謀ですよ!損失しか計算できない!」


それでも、損得勘定などできる筈もない。
代価は己が命。代えの利かないそれを死亡遊戯の掛金にする程の者は、この艦にはいない。
それに、百を超える命を背負って立てるほど、ナデシコの艦長はまだ強くない。

一筋の光明と、暗黒。

まさに、今の選択はそれであった。



内野の問答を耳で受け取りながら、艦長席からユリカが立ち上がった。
一つ頷き、何時にも見せぬ真剣な面持ちで。


「ルリちゃん!エステバリスに帰還命令を。ミナトさん!チューリップへの進入角度を大急ぎで!」


猛々しく、叫ぶように指示を出す。
その声に、刹那誰もが呆気に取られたように口を閉ざした。
一方で、三段で形成されているブリッジの最上段、ユリカの傍らにいたプロスは艦長席の前に跳んで出た。


「艦長!それは認められませんな!貴方はネルガルとの契約に違反しようとされている!」


この先、不可解な物に頼って現状を踏破するということは、不可解な物に未来を左右され、予想できない未来を辿るということである。
そんな物を信じられるほど、プロスはロマンティストではなかった。
ならば、どんなに分が悪くとも、現実的な方法で生き残る確率を追い求める。


「有利な位置を取ればクロッカスを撃沈…っぁあ!」


敵戦艦の砲撃がプロスの言葉を凪いだ。
振動によろめく彼をキッと見据えて、ユリカは吼えた。


「ご自分の選んだ提督が、信じられないのですか!?」


あくまで語調は慇懃に、されど意思は深く。
今まで子供のように、何かに依存してきた彼女とは違う。
そして、曖昧な態度で判断を誤魔化してきた彼女とも違う。

ミスマル・ユリカは、乗務員百人を超える戦艦の艦長としての顔で、言葉を叩きつけたのだった。




















縦横に世界が暴れ出した。
足元は覚束ず、行く当てもなく廊下を歩いていた検査服の女は露骨に眉を顰めた。

彼女にとって、今の状況は耐えがたい不快だった。

頭を鈍器で殴りつけられているような痛みは更に悪辣さを増し、
体中の関節は潤滑油が切れた出来の悪いブリキの玩具の様、動かすたびに金切り音が聞こえる錯覚さえする。
まるで娼婦の格好、彼女は青ざめた顔で足を進めていく。



何がしたいわけでもなく、かといって何もしたくないわけでもない。
目的はないようで、既に忘れてしまっているのか。
それとも、体の辛さは熱さ故か、焼き鏝を皮膚全てに押し付けられるような痛み。
知覚を越えた感覚は痛みしか寄越さず、その痛みは嫌が応にも意識の霧を晴らそうとしている。

だが霞が掛かる頭は五里。

感情らしい感情も湧き上がらず、機械的に歩を進めるだけ。
しかし、不快を感じる頭だけは妙に冴えている。
一笑に伏すにももう体は動かず、立ち止まって己が体の奇妙さに苦悶を洩らすばかり。

奇怪な体だ。

何もかもの自由を阻害するくせに、不快だけは気に入らないと言わんばかりに酸素を貪る。
肺胞から毛細血管に熱く滾った酸素が入り、それが血液を更に過熱する。
一分も経たずに心臓のドアを叩く静脈血は、また肺胞に帰り、またマグマのような空気を嚥下して血に変える。

なんという、悪循環だろう。

煮立った頭では、何を考えるにも役不足。
だから苛苛する。

瞳孔が広がり、体中の筋肉が強張る。
呼吸は既に犬畜生と同じく、心拍数はドラムの十六ビートを崩さない。



急な振動が、作成途上のガラス細工に似たその体を、乱暴に床から振り払った。



壁に叩きつけられ、傾斜の着いてしまった廊下を数度転がり、長髪が体に絡みつく。
蠱惑的な肢体が汗に濡れ、より一層魅惑に光った。
漸く対面の壁にぶつかり、勢いが止まると、彼女は頭を振って熱のこもった溜息を吐き出した。
両手を地面につき、起き上がろうとし、


「…なんだ、これ?」


セレスは、右手に握り締めていた湿布を怪訝そうに見つめて、そう呟いた。













「くっそぉ!くそぉ、くそぉっ!くそぉぉぉぉお!」


格納庫に戻ったアキトは、機体の格納にも戦闘配備にもかまうことなくコックピットを開いたエステから、
ラダーが降りるまでももどかしいと言わんばかりに飛び降りて悪態を吐きながら格納庫から走り去る。


「おーい!テンカワー!」


そんな様子を見てウリバタケが制止をかけるも、アキトは聞く耳を持たない。
降り立った格納庫の中、ウリバタケの傍らで、イネスは厳しい瞳のままアキトの後姿を見つめていた。











ガツーンガツーンと、古い振り子時計のペースで襲い来る頭痛。
仄かに熱を帯びた体、前回の食事で摂取した食物が出してくれと喉を叩く。
例えるなら、三十八度を越す熱を振るう風邪のようだ。
その上、体は不自然な悪寒を感じている。
否、熱病というならそれも相応しいのかもしれない。

意識を束ねられれば血管の脈動すらわかってしまわないか、と思えるくらいの心拍。
額を伝う汗を拭おうとも、既に濡れた体では意味もなかった。

セレスは気持ちの悪い現状に、顔を益々苦渋に染め上げた。
何と言っても、体全体に及ぶ倦怠感は流石に拷問じみている。
下着の無い状態でも、調整された空調のお陰で気温に不満は無い。
けれども、何か焦燥に似たものが内から警鐘を鳴らしていた。
今の自己の状態云々以前の違和感でもなく、思うのは寒さと熱さ。
クリアになってきた頭を通路の壁に叩き付けようとも、拭えない居心地の悪さは腹立たしかった。





そもが、間違っている。





「待てよユリカ!なに考えてるんだアイツは!」


パイロットスーツのまま駆け抜けていく姿は、アキト。
彼はT字路になっている壁に背を預けているセレスの姿にさえ気づかず、
一直線でブリッジへの道を駆けていった。









敵戦艦が続々とナデシコの後を追う中。
チューリップに向かって進路をとるナデシコに向かって、フクベは呟いた。


「それでいい、流石だな艦長。」


何の感情もない、枯れた眼で。










チューリップの花弁が大きく開き、前面の円状のゲートにナデシコが見る見る飲み込まれていく。
これではまるで、可憐な花を咲かせるチューリップというよりは、
巨大な昆虫でさえ一飲みにしてしまうグロテスクな食虫花そのものだ。
加えて、ブリッジから見えるチューリップの内部は形容もできないくらい、不可思議な空間であった。

平衡感覚も時空も曖昧で、思わず気分を悪くしかねない色をしている。


「チューリップに入ります。」


その中でも、ルリはやはり言葉の調子を崩さずに報告を挙げた。


「ホントいいのかなぁ?入っちゃって。」


操舵手のミナトは、確認を取るようにして問う。
だが、ユリカは凛とした表情を保ったまま、唯真っ直ぐに前を見据えていた。
その挑むような眼差し、その気迫が何より雄弁にミナトの問いに答えている。


「クロッカス、後方についてきます。」


ルリが呟くまでもなく、クロッカスは敵の艦隊からナデシコを守るように、ナデシコの後ろに回っていた。








「引き返せ、ユリカァ!」


青年が息を切らしながらブリッジへ駆け込んだのは、
丁度ナデシコがチューリップに半分ほど吸い込まれたであろうか、といったところだった。


「なに考えてんだ、今すぐ引き返せ!」


彼、アキトは立ち止まることなく、艦長席まで走り寄った。


「クロッカスのクルーはみんな死んでいたよ!俺達だってああなるんだ!」


聞き分けのない子供のように叫び散らす。
しかし、彼の激情もまた、彼のように真っ直ぐクロッカスを睨んでいた。

馬鹿げていたのだ。ゴートの同伴を拒んだ時点で。
結果、これだ。
それでまた、フクベは孤立する。


「そうとは限らないわ、ディストーションフィールドがあるから。」


途中、横合いから現れたイネスのウィンドウに気勢を殺がれるアキト。
今は超対称性だのの数学的なことには眼を向けられないというのに、
学のない頭がそれらを一蹴できず、自ずと閉口してしまう。


「このまま前進、エンジンはフィールドの安定を最優先に!」


ユリカの指示が飛ぶと、アキトははっとして怒声を上げた。


「ユリカッ!」


射抜くどころでは済まない眼も、ユリカは受け付けなかった。
それよりも、モニターに映し出されるクロッカスと木星蜥蜴の姿が、彼女の眼を焼いていた。


「提督は、私達を火星から逃がそうとしている…」


「馬鹿な!馬鹿な。そんなことがあるかよ!」


悲しげな顔をするユリカに、アキトはまた爆ぜた。

ユートピアコロニーを壊滅させた老翁が、何を今更。
また今度も、皆を犠牲にして自分だけ生き残ろうとしているのだ、と。


「テンカワ…」


けれど、その威勢も傍から見れば拗ねた子供のまさにそれ。
現実を直視できないあまり至ってしまう、駄々。
そんなアキトを、ただ憐れむ様な目でリョーコは見ていた。


「クロッカス、チューリップの手前で反転、停止しました。」


「敵と戦うつもりか!?」


「提督っ!」


ルリにゴートが続き、それにガイが続く。
彼等が驚くのも無理は無く、ディストーションフィールドもグラビティブラストも無いクロッカスが、
たった一隻で軍勢に向かおうというのである。
これは無謀を通り越して、無為な捨て身だ。

モニターに映る光点。
それこそ面になった点から、放射状に囲まれる二つの光点。
直に有効射程内というアラートが鳴り響き、じわじわと狭まる点と面の境界。
まさにそれは、孤島を飲み込まんとする波だった。

重力波の牙が地上に突き刺さる。
誤射か、いち早く射程内に入り込んだ木星蜥蜴の戦艦はがっつくように砲を放つ。
ただ、実弾と違って効果範囲が広がるのがそれで、地面を穿った勢いはクロッカスを傾かせた。


「提督!」


ユリカが叫ぶ。


「自爆して壊してしまえば、ナデシコを追ってくることは出来なくなる…!」


ルリも少々声を急かして自らの推論を述べた。
射程内にある敵艦隊に主砲を用いて応戦しないのは単にそういうことなのだろう。


「どうしてそんなにいい風に考えるんだよ!」


されど、その二つが二つとも、アキトにとっては鼻についた。
フクベに助けてもらうなどということすら、虫唾の感触を覚える。


「提督、おやめください!ナデシコ、いえ、私には提督が必要なんです!」


自らを生き延びさせようとするために多くを犠牲にした爺が、今更罪滅ぼしか。
そんなことばかり思っていたアキトは、このユリカの言葉で自らの言葉を切った。


「これからどうやっていくのか、私には何もわからないのです!」


眼に涙を浮かべたユリカの顔は、訴える言葉の通り、縋りたいという思いがあった。
それでも、唯の依存ではないことは、その真摯な眼が叫んでいる。
上に羽織ったカーディガンを強く握り締め、必死にモニターの向こうへ訴えるユリカ。

クロッカスのブリッジを背景にしたフクベは、そんなユリカの、ちぐはぐな姿に微小な笑みを零した。
それも口元が大きく緩むわけではない、雰囲気だけの弛緩。

喉に詰まった吐息をユリカが飲み込んだことを見届けて、フクベは穏やかに唇を開いた。


「私には、君に教えることなど何もない。」


諦観さえ見える、その呟き。


「私はただ、私の大切な…もののためにこうするのだ。」


顔を上げて、明確な意思をナデシコのブリッジへ投げ返すフクベは、
視線をユリカからアキトに移し、その顔を更に険しくした。


「なんだよそりゃ!」


食いつくように叫び散らしたアキトに怯む事もせず、微動だにしない体を、フクベは真っ直ぐモニターへ向けていた。
老翁の目は鋭く、それでも包むような慈愛に満ちた眼光。
奥目の表情は巧く読み取れずとも、フクベはいつもどおりの表情をしているに違いない。
厳格な言葉と落ち着いた声音の不一致さに、一同は数瞬戸惑ったかのように言葉を飲み込んだ。


「それが何かはいえない、だが諸君にもきっとそれはある。」


厳粛な神託の響きとまではいかないが、フクベの言葉にはいつも以上に含みがあった。


「いや、いつか見つかる…!」








初めて、フクベの感情を読み取ることが出来る調子が出た。

今まで無感情な声色と変わらない彫刻の顔をしてきたフクベが、
今、まるで意志を託そうとする響きを伝えている。








「私はいい提督ではなかった、いい大人ですらなかっただろう。最後の最後で自分のわがままを通すだけなのだからな。」


ふと呟かれる、自嘲的な言葉。
文字通り微動だにしない体をそのままに、厳然とした顔すら崩さない。

揺れる船体のせいだろうか、時折振動する画面は留まっておらず、小刻みな揺れもまた止まる事は無かった。
最中、モニターにノイズが走った。
輪郭がぼやけ、砂嵐に人影が霧散しようとした刹那でまた元に戻り、音声にも耳煩わしい漣の音が混じる。


「ただ、これだけは言おう。ナデシコは君らの船だ。」


ふい、とフクベは、歯を噛み締めるアキトに眼を向けた。
それから涙をこらえるユリカに眼をやって、再び顔を厳しくした。


「怒りも…憎しみも愛も、全て君達だけのものだ。言葉は何の意味もない、それは…!」


誰もが口を開けなかった。
言葉少なのフクベが、これほどまでに言葉を並べ立てることも十分驚きに足りたが、十人十色にその他の驚きも違った。
絶対的な死の気配の直前に立ちながらも、何ら普段と変わりない立ち振る舞い。
自らの状態を受け止めた上での人柱、それになることすら厭わない心。
何より、ブリッジに集う面々を黙らせるほどの鬼気。
その強い言葉をしっかりとした色で残し、言い募ろうとした瞬きの間で…モニターは黒に落ちた。


「提督!」


擦れた桃色のカーディガンが揺れるのと、クロッカスに数条の筋が突き刺さるのは申し合わせたように同時だった。
船体は穴だらけで、舞い上がった粉塵は灰の色をしている。
重力波の雨は先刻と違ってそこに夕立のように降り注いだ。
そして、その雨に耐え切れなくなったクロッカスは、盛大な朱と共に散った。


「戻せ!」


妙な色に閉ざされていく、クロッカスを写したモニター。
チューリップ内部の光景を見る前に、ゴートは眼を見開いて叫んでいた。
叫びにも似たゴートの声に気圧されたようにしてコンソールに指を走らせるミナトも、程なく悲痛な声を上げた。


「だめ!何かに引っ張られてるみたい!」


瞬時にざわめくブリッジ。
外の前面、後面を問わず、全方位に広がる奇怪な空間。


「チューリップは消滅した…。」


外界からの光も無くなったことを反芻し、ルリが報告を挙げる。
その報告が最後になって、ブリッジは水を打ったように静まり返った。


「この後何が起こるか分かりません。各自対ショック準備…」


閑寂の中、ユリカの声はやけに弱弱しく溶けていった。




























時間が経った。
心なしか、ナデシコ船内は薄暗く、落ち込んでいた。
各々が何をしているかなど分からず、指示も無いまま、空虚な時間が過ぎていく。

それは、普段活気に満ち満ちている食堂でも同じだった。
照明が薄暗いのはディストーションフィールドに艦内のエネルギーを向かわせているためで、
最低限の生活維持程度しか供給されていない。

表情に影を落とすのも、また然り。
テンカワ・アキトは食堂のテーブルに突っ伏していた。


「あったな…ゲキガンガーにもあんな話。」


誰に話しかけるわけでもなく、呟く。


「仲間庇ってさ、死ぬなんて…凄ぇ格好良いけど、…そんなの…自分に関係ないと思ってた。」


同じく食堂に居た面々、ホウメイガールズも、そんなアキトの様子を心配してか、見守っていた。


「なのに、なんでよりによってあんな野郎に…俺たち助けられなきゃいけないんだよ…!」


顔を伏せて、強く拳を握った。
自らの爪が手のひらに食い込む、そんな痛みも気にならない。
段々と苛立ちを孕んでいく言葉を叩きつける相手も生憎と、いない。


「あんなのただの自己満足だ…、ただの…!」


これでは、フクベ・ジンの思ったとおりへすべて捗々しく進んでしまったことになる。
テンカワ・アキトが望んだ、フクベが行なうべき贖罪もせずに、フクベ・ジンは己の意思でそれを遂げた。
だが、それではアキトにとって何の意味も無かった。
手前勝手な自己犠牲などでは、罪滅ぼしにはならないと。

やりきれない思いを抱くアキトの眼の前に、一つの封筒が落ちる。

それを落としたポットを携えて、ホウメイはアキトの前に立っていた。


「過去を知られる前から、テンカワ…お前にだけは遺言を書いてたみたいだよ。」


天河明人殿、と書かれた封筒は、律儀に封をされ、書いた者の性格をあらわすように達筆な筆文字で書かれてある。
何故フクベがアキトだけにこんな物を残したのか、それは送られたアキトにもわからない。
ただ、遺言という言葉を聴いて、アキトはそれが自分に送られた遺書なのだと思い至った。


「あの人は火星で最初から死ぬつもりだったんだ。」


小脇にポットを抱え、少し顔を俯かせてホウメイは一つ溜息を吐く。


「そしてお前に会って、せめて…」


落ちていくトーンに、アキトは眼の前に落ちた紙切れを弾いた。


「だから許せって…?だから感謝しろ!?」


確かに、フクベ・ジンは第一次火星会戦で、チューリップの落下から火星を守るために己の船を犠牲に向かわせた。
けれど、それは結果無駄となり、軌道を大きく逸れたチューリップはユートピアコロニーに直撃。
そして火星は蹂躙された。

何も語らず、ずっと自身をすり減らし、自分なりの贖罪を捜し求め、やっとそれをすべき人間にめぐり合えた。
それは、フクベ・ジンにとってどれだけ幸せで、どれだけ不幸だったことだろう。
彼には己の所業を詫びる事も出来れば、口を閉ざしていることだって出来たはずなのだ。
そんなことさえせず、フクベ・ジンは自らの命を使ってテンカワ・アキトという一介の青年に言葉を託した。
明確な謝罪が出た訳でもないというのに、その行為は何よりも重い気がした。
故に、アキトは釈然としなかった。


「あいつは生きるべきだった!火星の人たちのために!」


自らを貫き通し、自らのやり方で、自らを犠牲にし、自らを終わらせた。
愚直な程、自分の生き様を変えられない老翁は、必死に模索していたのか。
裏も表も無く、単純で潔いその根幹を、ありのままにあらわしたその終焉が、とても眩しい物に見えた。
だから、アキトは憤慨していた。


「無様に…生き続けるべきだった!」


泣き叫び咽び詫び、無様に地面に額を擦り付けても未だ足りない、過去の所業の贖いを。
泣き叫び逃げ惑った人たちに対する負い目と、咽び喚きながら死んでいった者達を全て背負いながら、
自らの生涯が終わるまでを懺悔で迎えなければ成らない、その人生を。
フクベ・ジンは自らの手によって、幕を閉じた。
狂わんばかりの苦しみをその一身に受けて、終わってはいけない永久の人生から、フクベ・ジンは青空のような潔さを残して去っていった。
それであるから、アキトはフクベを潔しとはしない。

怒りに震えるアキトに軽い溜息を吐いて、ホウメイは強い眼で彼を見つめて言った。


「だからあたし達はそうするのさ!」









「最初から死ぬつもりだったなんて…無責任すぎます。」


出るに出られず、食堂の入り口の壁に寄りかかっていたメグミは、胸中を溜息と共に吐いた。


「年取ってるから正しいことするなんて、それ自体思い違いなんだよ。」


同じく入り口を挟んで立っていたリョーコは、少し苛立った様子でメグミに向いた。
それから視線を落として、何か、遠い物でも見るような眼で呟く。


「いくつになっても、馬鹿は馬鹿なんだ。」


溜息を禁じえない。
赤い制服を掴んで、暗い廊下の奥底に眼を馳せた。


「でも、だったら私達はこれから誰に学べばいいんですか。」


隣に居たのは、ユリカ。
声は誰に問いかけるわけでもなく、虚空に飛ぶ。
潤んだ眼は皺の深い老爺の顔を見ているのか、輝きは薄かった。
ピンク色のカーディガンを強く握り、彼女は顔を擡げた。


「誰に学べば…」



























ネルガル重工、会長室。
薄い照明が、ただっ広い部屋に降るその場所。
照明はネルガルのロゴマークを照らしつつ、スポットライトのように一つのデスクに落ちていた。

デスクに就くのは長髪の男で、何処か不真面目な印象を与えている。
その最たるは多少体に合わないスーツを着崩していることが所以か。
彼の視線の先には、これまた彼とは対照的な格好の女性が毅然とした様子で立っていた。
白いスーツに身を包み、引き締まった雰囲気と連れ立って、その顔立ちも端麗。
アジア系の目鼻と、口に引かれた紅は彼女には似合いで、挑戦的な色を灯した瞳は雄雄しいまでの気高さを覗わせる。

眼の前に立った彼女を見て、手を組んで其処に顔をのせていた男は多少顔を上げた。


「今日も綺麗だね、エリナ。」


品定めをするような眼も毎度の事。
半ば社交辞令と成り下がった称賛を眉一つ動かさずに受け止め、エリナと呼ばれた女性は唇を開いた。


「ナデシコが火星を去りました。多大なる被害を受けて。」


「ふぅん、やっぱりな。」


女の事務的な口調に男は些かの落胆を見せて、確信の意図を晒しながら嘆息を一つ。


「プロジェクトはB案に移行か、仕方ないね。」


さして表情も変えなかったのは、なぜか。
ネルガル重工は機動戦艦ナデシコを建造した、言ってみればナデシコの親ともいえる立場だ。
それというのに、会長室に鎮座する男は興味も無さ気に呟く。


「そうそう、ゼロのデータも大分搾り取れたらしいじゃないか。」


だが、この科白を言って、男は心底愉快そうに口の端を歪めた。


「でも商品としてはまだまだだね。」


不意に顔を上げ、背もたれに背を預ける。


「ゼロも二次案に持ってってくれ。」


「はい、それと私もナデシコに参ります。」


エリナが腕を組みながら言い放つのを満足そうに見つめ、男は組んでいた手を解く。
そしてその手をデスクの上に馳せ、集音マイクのスイッチを押した。


「連合軍総司令につないで。」















「そう、仲直りしたい、ってさ。」



















機動戦艦ナデシコPOD ACT-#10、了。









10話終了時後書き座談会、(八頭、しょうへい)



八頭 :
はい、と言う訳で10話おつかれさまでしたー

しょうへい :
はい、お疲れてましたー

しょうへい :
かなり長い間が、開いちゃいましたなー

八頭 :
今回はボソンジャンプ前、物語の前半戦終了ってところかな?

しょうへい :
はい、ですがまぁ、こちらのPODでは前半戦半分手前ってところですよ

八頭 :
むーまだまだってところなのねー

しょうへい :
ええ、これからさき、色々とセレスさんが居ることによる二次的な影響が増えていきますから

八頭 :
二次成長〜あはっ♪

しょうへい :
漢字間違い、性徴

八頭 :
Σそれは大ピンチだよしょうちゃん…えろえろーん♪

しょうへい :
ふぅ、誰か暴走機関車トーヤズを止めてくれ・・・

八頭 :
それはそうと、やっぱセレスがあの状態に陥ったのって――アレでしょ?

しょうへい :
アレ?

しょうへい :
アレ、まぁ、色々と

八頭 :
次からは本題、ボソンジャンプとゼロに関する話になってくるわけだけど

しょうへい :
そうですね、言ってしまえばPODがここからやっと動き始める感じですね

八頭 :
長いまえふりだったねー

しょうへい :
そりゃ仕方がないですよ、イメージを固めるためにはいろんな角度から照らさないといけませんし

八頭 :
むむむーでもそれだからこそ期待できちゃうよね

しょうへい :
あらま、嬉しい一言を

八頭 :
一応、読者側サイドかわもみてるわけだから〜ほとんど読者だけどね(汗

しょうへい :
ぶっちゃけて濃すぎるわけでなし、薄すぎるわけでもなし、オリジナルを練りこんでも結局何が変わる、っていうのも書いてて楽しいですよね

八頭 :
だねー二次元にはそういった楽しさが溢れてるよ

しょうへい :
そうだね

八頭 :
さてさて、では〜ここでしょうちゃんに次回の見所をば聞いてみましょう♪

しょうへい :
御鉢が回ってきたか…(苦笑)

しょうへい :
了解です、では行きますか

八頭 :
むーやっぱ11話もしょうちゃんメインだしねー

しょうへい :
うぇー、そんなーぁ

八頭 :
ごめんねー私は手直しで精一杯だし

しょうへい :
むぅ、皆忙しいしね。

八頭 :
ズバリ、11話はやはりゼロに関する事だと思うんだけど?

しょうへい :
うぃ、ゼロというよりはPODは原作と何が違うのかを突き詰めていったものになります

八頭 :
おぉー

しょうへい :
ぱぱぱーっというなれば、セレスさんが何をしたか、その影響が出てくるというわけです

八頭 :
事態は急展開を迎えるわけね

しょうへい :
はい、TV準拠にようやく色が付き始めます

八頭 :
これからが色々と大変になってくるわけねー

しょうへい :
そう、そうなんです

八頭 :
次回もシリアスあり謎ありエロありの作品を期待しているわ♪

しょうへい :
応!

八頭 :
と言う訳で、次回POD題11話「瑠璃の蜜壷、快楽の宴(前編)」をお楽しみに〜(マテ

しょうへい :
ちがうから、それちがうから。

八頭 :
チッ

しょうへい :
んでは、お暇ー

八頭 :
はいー







〜主犯の言い訳、三秒の空白〜

申し訳ない。
なんというか、あとがきでこの科白が一番に出るとは思わなかったです(汗)
色んな事に感けて執筆も遅れてしまい、読者の方々には心からのお詫びを申し上げます。

ども、しょうへいです。

しかしまぁ、その分濃い内容になってしまいましたが、いかがなものか(汗)
大体一話が60kb後で巧く纏まるんですよね、纏まるというのも私的に納得のいく程度ですが。
起承転結を巧くつけるなら区分けしたほうがいいんですが、それだと露骨過ぎて面白みも無い、と。

内容としてはやっと一段落といったところでしょうか。
入りから色々あって、大きな区切りとしてはここでついたと。
それで、またまた厄介ごとが大好きな私達は次回辺りからまーたやってしまうと思われます。
ですが、そのための私たちということで、一騒ぎ行きましょうや。

ちょうど待機時間の復帰もこれで出来たと思いますので、今後はもう少し速度上昇できると思います。
それでは、また次の機会に。

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